September 23th is
September 23th is
「かっ……」
がたん、と音を立てて、瞠が席を立ち上がった。血相を変えて、茅を覗き込む。
「茅っぺ、その幽霊見えんの……?」
「常時じゃない。たまに見かけた」
「なんで今まで黙ってたの!?」
「みんなに見えてなかったら、おかしいと言われるだろう」
ふてくされた様子で、茅は目を細めた。
「君たちはすぐに僕を精神病者扱いするからね。そして津久居さんに密告して、彼から説教の電話が来るんだよ」
「そ……」
「だけど、みんなに見えるなら正常だ。良かった。――久しぶり、五条さん」
「おばけに話しかけたらだめだって! なんとなく!」
槙原先生が、慌てて茅の口を塞いだ。
血の気が引くのを感じながら、俺は手紙を思い出した。メールアドレスの削られていた、あの手紙。
会ってみようかな、なんて、気軽に言っていた。
「……俺に手紙をくれた後、亡くなっちゃったの?」
「その前だ。実際には出せなかったんだ。五条さんは」
「どういうこと……?」
「遺品を整理していた時に、何通も見かけたらしい。それで白鳥さん……元会長だけど、彼女が相談に来たんだよ」
「君に?」
「そう」
「君に?」
「そうだよ。気持ちだけでも届けたいって。いいんじゃないですかと答えた。君の所に行かなかった?」
「来てないよ。なんで言わなかっ……」
「ついでに、君の下駄箱の場所を聞かれたから教えたんだけど、何か関係があったのかな?」
俺は無言で茅のネクタイを締め上げた。瞠が必死に俺の体を引きはがす。
「しょうがないよ、ハルたん! 茅っぺ、少女漫画読んだことないんだもん! ラブレターと下駄箱は繋がんねえよ!」
「その手紙を供養すればいいんじゃないか? 燃やすか何かして……」
辻村が言い切るのを待たずに、コップがカタカタ揺れ始めた。
風もないのに、激しく波打っている。
「ジーザス……」
無言の怒気を感じて、和泉まで青ざめた。彼は何故か、椅子の上に体育座りした。
口元を押さえた瞠が、気まずそうに呟く。
「ハルたんさあ……」
「……なに?」
「つき合おうとか言っちゃったじゃん……」
「……だから……?」
「つき合ってるつもり何じゃないの、彼女」
「…………」
ふらりと目眩がした。
気を失いたい。
真剣な眼差しで、和泉がテレビのリモコンで卓上を叩く。
「オーライ。白峰春人ハンマープライス」
「ちょ……っ」
「書記の彼女に売却済」
コップの揺れが止まる。笑顔をひきつらせながら、瞠がうなだれた。
「……正直な人だなあ……」
俺はよろめいて、机の下にもぐった。膝を抱えてしゃがみ込む。いっそ泣けてきた。
「ハルたん、地震じゃないから……」
「なんとかしてよ、瞠……。瞠はクリスチャンでしょ……?」
「いや……。現役副牧師だってあのていなんだぜ……?」
「神波さんにも助けられないかな……」
「お寺に行くから車出してって形なら、役に立つと思うけど」
「マッキーの中で誠二はもう足なんだね……」
「か、茅……。その娘に、困りますって言って。本当に申し訳ないけど、彼女には出来ませんって……」
「残念だけど、話は出来ないみたいだ。今はもう見えなくなった」
「そんな……」
「――どの女にもいい顔してるからだ」
腕を組みながら、辻村が顔をしかめた。睨みつける眼差しを受けて、コンビ解消の早さを思い知る。
「適当なことを言って、いい気分にさせて。顔も覚えてないくせに」
「悪いけど、女の子の顔忘れたことないよ!」
辻村の足を叩いて、俺は本気で反論した。いい加減なナンパ師と一緒にしないでほしい。
机の下を覗いて、茅が尋ねる。
「五条さんの顔は覚えてる?」
「……え……? 会ったことあるの……?」
「白峰君……」
「ほらみたことか」
非難を受けながら、俺はまじめに記憶をたどった。話したことがある娘なら、絶対に覚えてるはずだ。
何故なら、俺は女の子が好きだから。
「あれとかは? コックリさん」
瞠の提案に、皆の視線が集中した。
「コックリさんなら、幽霊とでも話が出来るじゃん。どうしたいのか、彼女に聞いてみりゃいい」
「あれって狐じゃなかったか?」
「エンジェル様じゃないの?」
「まあ、どれが降りてきても、その子の通訳してもらえばいいじゃん」
クリスチャンのわりに、瞠は神仏精霊に対して人使いが荒い。
「それはいいとして、そろそろ学校だよ。みんな遅刻しちゃ……」
「この一大事に何言ってんだよ。それでも教師か」
「こっちだって一大事だよ。君たち受験生なんだからね。
コックリさんなら昼休みに……」
「5分でやるから」
和泉に引き留められて、槙原先生が弱った顔をする。瞠がマッハの勢いで、ルーズリーフに陣を書いていた。
こっくりさんなんて、死ぬまで関わりたくないものだったのに。まさか、こんな形で経験することになるなんて……。
調味料をかき分けて、瞠が用紙をおいた。五円玉を槙原先生が用意する。
「これは何?」
「五円玉の上に指を置く。手ェ出して」
茅の指の上に、和泉が指を重ねる。瞠、辻村、俺、槙原先生の順で重なった。
「こっくりさん、こっくりさん……」
瞠が呪文を唱え始める。泣き出しそうになりながら、俺はぎゅっと目をつぶっていた。
励ますように、和泉が黙って、俺の手を握る。
きゅんとした。ここぞと言う時に、和泉は本当にイケメンだ。惚れそうになる。
コックリさんの途中で、槙原先生の携帯が鳴る。
ぱっと手を離して、彼は席を立ち上がった。
「ごめん。ちょっと、先進めてて」
「マッキー!」
瞠が焦った顔をした。
窓を開けてもいないのに、強い風が巻きあがる。
「こっくりさんは、途中で止めちゃいけないんだよ!」
ぎょっとして、槙原先生が振り返る。
ぱしんっ……と俺の背中で空気がはじけた。
「こんにちは、槙原ですけど。お腹が痛いので休みますけど」
『おまえは和泉だろ!? 槙原先生はどうした!?』
「槙原ですけど。そういうことで」
『おい……!』
「バイバイ」
槙原先生の携帯を切って、和泉が親指を立てた。
ソファに座った瞠が、頭を抱えて、深くうなだれている。
辻村は瞼を閉じて、腕を組みながら、天井を仰いでいた。
茅は散らかった部屋を片づけている。
「…………」
俺は沈痛に黙り込んで、眉間の皺を指で押さえていた。
目の前では、槙原先生が頬を染めている。
「手紙……読んでくれて、ありがとうございました。五条と申します」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「五条さん、何か飲む?」
「あ、茅さん、お気を使わずに」
はにかみながら、槙原先生はふわりと微笑んだ。気恥ずかしそうに、俺の顔をちらりと覗く。
この恋する眼差しが成人男性の恩師のものでなければ、両腕を広げて歓迎した。
「……白峰春人です。どうも、この度はお悔やみを……」
「あっ、いいんです。ライトが壊れたまま、自転車に乗っていた私が悪いです」
「そう……ですか……」
「でも、この前、近くを車で通られましたよね。お兄さんか誰かと一緒に。格好いい人だったなあ」
槙原先生が賢太郎を誉めている。
「なんだか、どきどきしてしまって。そうしたら、トレイが出たり入ったりしてしまって。あの時は、怖がらせてしまってすいませんでした」
「いや、怖くなんかなかったです」
俺はきりっと答えた。中の人が女の子だと思うと見栄を張ってしまう。
「あと、幽霊の特権かななんて、寝顔を見に行ったり、おっ……、お風呂を覗こうとしちゃたりして……」
両手で頬を押さえて、かあっと先生は赤面した。
こめかみを押さえながら、俺は精一杯にこやかに微笑む。
「ああ……。あれ、寝顔見に来てたんだ……?」
「ごめんなさい。もう、恥ずかしい……」
槙原先生が恥じらう仕草は、複雑だったけれど、彼女の品の良さを感じさせた。
恐ろしい亡霊だとばかり思っていたのに、話してみると普通の女の子だ。先生の顔じゃなかったら口説けたと思う。
俺は苦笑して、頬杖をついた。
「生前に親しくしたかったよ。ラブレター、早く出してくれば良かったのに」
「勇気が出なくて……。茅さんにも止められたし……」
「はあ!? なんてことすんの!?」
怒りのこもった俺の声に、茅は怯んだ。
「止めた覚えはないけど。僕、何か言ったかな」
「白峰さん、好きな人いるんですかって聞いたら、僕かなって」
俺はふきんを茅に投げつけた。茅はナイスキャッチした。むかつく。
「私が無茶をしないように、冗談で牽制してくれたのかなと思ったんですけど……」
「恋の相談的なことは斉木の方にして? お願いだからそうして?」
「あ、はい。生まれ変わったら」
槙原先生は寂しそうに苦笑した。眉を下げて、俺も沈黙する。
「それで、おまえはどうしたいんだ」
組んだ腕をほどいて、辻村が尋ねた。女の子が苦手な辻村だけど、槙原先生の顔のせいか強気な態度だ。
「事故には同情するが、ここに居座られても困る。成仏する気はないのか」
「成仏って、どうやったら出来ますか……?」
「俺に聞くなよ……」
「未練があるんじゃない?」
槙原先生の肩を抱いて、和泉が囁いた。
「春人とのセックスとか」
トマトになったように先生が赤面する。こめかみを押さえながら、脳内で同じ年の女の子の画像に変換した。
「そ……。そんな、私、とんでもない……」
「処女なの」
「さっちゃんよせよ。マッキーに見えてマッキーじゃないんだから」
「槙原からは出れないのか?」
「どうやって、出ればいいですか……?」
「だから、俺に聞くなよ……」
先生の顔を覗き込んで、俺は質問した。
「やり残したこととかないの? あそこに行きたかったとか、あれが食べたかったとか」
「あ……」
俺を横目見て、先生は目元を染めた。伏せがちの瞼を臆病にふるわせる。
「……ひとつだけ、思い当たることが……」
「なに?」
「白峰さんの誕生日、お祝いしたいなって思ったんです。手紙を読んでくれたとき、そう言っていたから……」
「…………」
「えへへ……。付き合うなんて思ってないなんて言いながら、ちゃっかりしてますよね」
先生は寂しげに苦笑した。
俺はカレンダーを確認した。俺の誕生日は二日先だ。
肩をすくめながら、出来るだけ優しく、先生の肩を撫でる。
「お祝いしてよ。君の行きたいところ行ってさ」
「デートですか?」
槙原先生が俺とのデートに感激している。俺は努めて冷静に振舞い、動揺を隠した。
「もちろん。――ところで相談だけど、他の人には入れないの。中学生以上30歳未満の女の子の体とかに……」
「私も出来れば移動したいんですけど……」
「塩をかけてみりゃいいんじゃないか?」
昨日も辻村が塩をかけたら消えた。キッチンで使っている粗塩を用意して、辻村が先生の前に立つ。
「いくぞ」
「はい、お願いします」
豆まきをするように、ばっと先生に塩を撒いた。
とたん、塩をかけられたなめくじのように、先生がオーバーリアクションで飛び跳ねる。
「うわっ、目がしょっぱ! 何……!?」
「マッキーだ!」
「――あ、戻っちゃいました」
先生は再び行儀良くかしこまった。
俺たちは感心していた。中が違うだけで、ここまで雰囲気に差があるのかと。
「行ってくれば。先生とデート」
和泉は面白がって言う。さまざまな憤りを堪えて、俺はにこやかに微笑んだ。
「五条さん、どこか希望はあるの?」
「えっと……。おうちが厳しくて、夜遊びをしたことないんです。夜遊びっぽい……クラブとか行ってみたいなって」
「大胆だ」
和泉がひやかした。先生が控えめにはにかむ。
「俺もクラブに行ったことないよ。和泉、付き合ってよ」
「未成年が二人以上いたらバレる」
「賢太郎に付き添って貰ったら? あいつが知らないことないだろ」
「この先生見たらびっくりしないかな……」
こんな風にして、高校最後の誕生日を過ごす相手が決まった。
西園寺女学院の学校案内を茅に見せて貰った。生徒会役員のコーナーに、彼女の写真が載っていた。
かわいい女の子だった。本気で生前に会いたかった。
ぼやけてしまった記憶をたどる。この子と初めてあったのはどこだろう? 何を話したっけ?
デートプランを真面目に整える自分に俺は苦笑した。あんなに怖がっていたのに、今は喜ばせることを考えている。我ながら、現金だ。
だって、とても、きれいな手紙だった。
さっぱりとした、素敵な言葉たち。ちっともおかしくなんかない。
手遅れだけど、俺も使ってみたい。
笑われてしまうかもしれませんけれど、あなたが初恋なんです。
――なんてね。
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