September 23th is
September 23th is
その二日間、色々なことがあった。
一番心配していた槙原先生の業務のことは、見事に解決された。彼女は英語が得意科目だった。日常英語も出来ると茅が太鼓判を押した。
また、清楚で優雅で上品のいい振る舞いと、細やかな気配りのおかげで、先生の株は職員室で急上昇していた。瞠が感慨深げに「そうか。マッキーは気が利かない人だったのか……」と呟いていたのが印象的だった。
「白峰さ……白峰君!」
先生はばら色の頬で、昼休みにいつも駆けつけてくれた。ざわめく教室の空気を俺は紳士の名にかけて耐えた。
「なあに、先生」
「早起きして、お弁当作ってみたんです。辻村君に気づかれたけど、内緒にしてもらったんだ。お口に合うといいんだけど……」
「ふふ。先生、内股だよ」
彼女がお風呂に入るときも大変だった。女の子だし、好きな男(俺)が傍にいるわけだから、彼女は清潔にしておきたいわけ。だけど、そのためには服を脱がなきゃいけない。
脱いだら、たぶん、あれが目に入る。
「はっ……、恥ずかしくて……っ」
「大丈夫、大丈夫。マッキー、そういうの気にしないから」
「男女関係は意外とストイックだよ、先生」
「そうなの?」
「うん。ねえ、トイレはどうしてるの?」
「お腹も空かないから、その、もよおさないので……」
「槙原先生、大丈夫かな……」
「三日間水だけで監禁されてたから平気だろう」
「おまえらの槙原の扱いもひどいよな……」
俺たちの説得を受けて、彼女はようやく脱衣所に向かった。数分後、脱衣所から悲鳴が上がった。先生の傷が怖かったんだという。
日付が変われば、俺の誕生日だ。
俺の部屋には彼女がいた。結婚ができるようになる年の誕生日を、幽霊の女の子と過ごすとは思わなかった。幽霊の女の子が怖くない自分にも驚いている。
彼女は緊張しながら、俺と話してる。ちらちらと視線が時計を追う。0時が来たら、きっと、言ってくれるつもりなんだ。お誕生日おめでとう。
昔は歳をとることに、罪悪感があった。ともを置いていってしまうから。
「ねえ、あのさ」
「はい」
「会いたい幽霊がいるんだけど、会えるかな。会えると思う?」
「どうでしょう……。私は気づいたらと言う感じでしたし……」
「敬語は止めてよ。あと、名前で呼んで」
「春人……くん?」
「そう。呼びたいでしょ」
にやりと笑うと、彼女は頬を赤くした。先生の顔なのに、だんだん、かわいく思えてきた。
「わ、私のことも名前で呼んでくださ……。名前で呼んで、欲しい、な」
「いいよ。チエちゃん」
「あ。ともえって読むんです。友達にはともって呼ばれてました」
「…………」
幽霊のともちゃんか。
降参したように、俺は笑う。
「ともに会いたかったよ。ちゃんとデートしたかった」
照れくさくて仕方がないという顔で、頬を緩めた彼女がうつむく。
その時、俺の携帯が次々鳴り出した。はっと時計を見上げて、彼女が背筋を伸ばす。
「お誕生日おめでとう、春人くん」
素直な気持ちで嬉しかった。
「ありがとう。明日、楽しませてあげられるといいけど」
「春人くんと一緒にいるだけで、私はもう、贅沢すぎて……」
真面目な顔で首を振った後で、ともは顔を曇らせた。
「どうしたの?」
「せっかくのデートなのに、お洒落できないのが残念だなって」
肩を揺らして、俺は笑った。女の子らしい悩みだ。
「言ってよ、想像するから」
「え……?」
「生きてたら、どんな服着てきてくれた?」
頬を染めながら、彼女は一生懸命伝えてくれた。
白いワンピース。紺のカーディガン。レースが付いたショートブーツ。
それは即席のアイデアじゃない気がした。ずっと考えていたんだ。とものクローゼットの中に、大切に眠っていたんだろう。
いつか、花のように笑って、誰かの隣を歩くために。
「似合うよ。……かわいい」
死は通り雨のようだ。
不意打ちで、攫っていってしまう。
どこまでも、どこまでも、続いていくはずだった道を。
賢太郎が事情を飲み込んで、目の前の槙原先生を受け入れるまで、だいぶ時間が必要だった。
彼はドッキリだと思っていて、清史郎が近くに潜んでいないか念入りに探した。ともは憧れを含んだ眼差しで、賢太郎を見上げていた。
俺はちょっと複雑だ。ともも賢太郎も俺のものであって欲しくて、仲間外れは寂しいから。
「中身は女子高生なんだな?」
「そうだよ。滅多に先生ににこにこして貰えないんだから、今夜のうちにされておきなよ」
「本当にカメラも清史郎もないんだな?」
「ないない。安心してってば」
賢太郎の背を叩いて、俺たちはクラブに向かった。初めての場所は緊張する。
地下の階段を下りて、広がるフロアに溢れていたのは、9月のダンスナンバーだった。
音楽に身を任せて、なんてよく言う。見よう見まねで精一杯だった。ともの理想を壊してなければいいけど。
今夜で最後ならと、賢太郎がともにお酒を奢った。ともが選んだ水色のカクテルだ。
ひとくち飲み干して、ともは熱い息を吐いた。
「酔っちゃったかも……」
「ない」
「ないぞ」
俺と賢太郎は真顔で口を揃えた。
「いいか。おまえの外の人――おまえを中の人だとして――外の人は、体の機能の9割をアルコールの分解に使ってるんだ」
「工業アルコールでもなきゃ酔わないと思う」
「す、すごい人なんですね……」
ともは残念そうだった。酔っぱらっちゃった、という台詞を言ってみたかったのかも。
「どうだ。成仏できそうか」
賢太郎は渋面で尋ねた。現実主義者の彼は、幽霊が存在するという前提で、会話を進めている自分に葛藤があるんだろう。
俺の頭に手を置いて、彼は兄貴面をする。
「これ以上、こいつに付き纏われても困る。おまえの外の人も……」
「はい。大丈夫だと思います。すごく楽しかった」
ともは満面の笑みを広げた。俺は切なさのようなものを感じていた。
ディスコソングは陽気な音を弾けさせているっていうのに。
「春人くん、ありがとう。大切な誕生日、私に使ってくれてありがとう」
「ともこそ」
静かに微笑んで、俺は彼女の手をそっと握った。
槙原先生は体温が高いのに、彼女の手はいつも冷たかった。
「思い出したよ、初めて会った日のこと」
星のように瞳を輝かせて、ともは涙ぐんだ。頬を伝う、笑い泣きの涙がきれいだ。
とものおかげで、幽霊が少し怖くなくなった。
「もしも、俺に似た小さな子に会ったら、仲良くしてあげて。わんぱくだけど、いい子なんだ。とっても」
「はい」
「背の高いホームレスにも会えたらよろしくって。そこではホームレスじゃないと思うけど。優しい人で、演技がうまいんだよ」
「はい」
ぎゅっと彼女の手を掴んで、ゆっくりと手離した。
「誕生日おめでとう、とも」
――ともがいなくなった後、よく頑張った、と賢太郎はわけがわからない褒め方をした。
槙原先生はものすごくお腹が空いていて、めちゃくちゃ飲んで食べた。彼はもう賢太郎ににこりともしなかった。
誕生日が終わって、12分過ぎ。俺は二人の大人に誕生日を祝われた。
寮に帰ったら、みんなも祝ってくれると思う。俺のことを待っていてくれていると思う。
俺は二人の腕を抱えて、ありがとうと、大好きだということを伝えた。二人は照れて、笑っていたけど、俺はとても真面目だった。
こういうことは、ちゃんと、伝えておかなくちゃいけない。
ともが教えてくれた。
寮に帰ったら忙しい。もう一回瞠の部屋に泊まりに行って、茅をごろごろ甘やかして、辻村とコンビを再結成して、和泉にイケメンだって伝えなきゃ。
通り雨が降っても、後悔しないように。
Do You Remenber?
「……茅ー。冷房涼みに来たー」
「あかん、あかん。来客中や」
「女の子じゃん! ずるい、生徒会ばっかり」
「西園寺の生徒会の人たちだよ。会長の白鳥さん、副会長の梅澤さん、書紀の五条さん……」
「斉木、合コン、セッティングしてよ。誕生日プレゼントの代わりに」
「た……、誕生日、今日なんですか?」
「違う、違う。誕生日は秋分の日。こいつからまだ貰ってないの」
「私も秋分の日です! 9月23日」
「へえ、同じだ。じゃあ、今度、俺と二人で一緒にお祝いしようね」
September 23th is 了
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