The Unbirthday Party (with R)
「よし! それじゃあ、料理に取りかかるぞ!」
スポーツの試合中のように、煉慈は声を出し始めた。歴戦の変態が作りだした空間に染まるまいと必死だ。
エプロンをする煉慈に、花もエプロンを身につける。ミニスカートが隠れて、下半身が裸エプロンみたいになった。
「はい、先生! 頑張るよ」
煉慈のテンションにつられて、花も張り切った声を上げた。
「まず手を洗え」
「洗います」
「手元が暗いな。キッチンの電気はどこだ?」
「ここ」
花がぱちんとスイッチを押すと、照明は上からじゃなく、下からライトアップされた。
キッチンはキャラメル色ではなく、青白い光をしていた。
まるでショータイムの始まりみたいだ。今度は指先と胸元の陰影がアクセントです。彼の指先も、彼女の指先も、今にも絡み合いそうですね。
両手で顔を覆って、煉慈は嘆いた。
「もうこの家で飯作るの嫌だな……」
「ドンマイ。材料いっぱい買ってきたから」
煉慈を励まして、花は冷蔵庫の扉を開けた。
冷蔵庫の中には、とりあえず、といった感じに、食材が一つずつ入っていた。
トマト、キャベツ、ピーマン、ニンジン、にんにく、じゃがいも、大根、カボチャ……。まるで野菜図鑑だ。
力なく煉慈は笑った。
「せめて野菜は一袋買って欲しかったぜ……」
「どれが必要かわかんなくて」
「何を作りたいんだ?」
「出来る女っぽいやつ」
「出来る女……」
「レストランで出てくるみたいな」
「花の料理はレストランぽかったよ。レトルト的な意味で」
冷蔵庫からバナナを取り出して、僕は食べ始めた。
花は自炊をほとんどしなかった。それは別にいいんだけど、たまに用意するのも忘れてた。
花が一日帰ってこない日は、僕は一人で冷蔵庫のものを食べ尽くした。冷蔵庫の中に物がないときは、お腹をぐーぐーさせて丸まってた。一人で出歩けるようになると、ここだけの話、お店で万引きした。
そのせいだろう。いまだに食べ物を前にすると、お腹がいっぱいでも、胃袋に詰め込みたくなる。
「そうだ、野菜だけで作って欲しいんだよ。眞、野菜しか食べないの」
「ああ、言ってたな。面倒臭えなあ……」
「ねー。この前お肉焼いたら、肉臭いって言われた。肉臭いって何? そんなものあるの?」
「ねえよ。気のせいだろ」
煉慈のエンジンがかかってきた。
「カボチャと大根はでかいから量があるな。後は豆腐か。豆腐でハンバーグでも作るか」
「ハンバーグなら肉で食べたい」
「俺だってそうさ。ひき肉からたまねぎだけより分けて食えって言えよ。坊主じゃあるまいし、いい大人が好き嫌いするなよな」
煉慈は絶好調だ。
「煉慈のパパは、好き嫌いなかったの」
キッチンに並ぶ二人を眺めて、カウンター越しに尋ねた。
煉慈は視線をあげて、思い出すような顔をする。
「好き嫌いはなかったな。ああ、一度むかつくことがあって」
「何?」
「料理作りはじめの時にさ、冷や奴出したんだよ。夏だしさ。手を抜いたわけじゃないぜ」
「うん」
「そしたらさ。じっと冷や奴を見つめて、黙ってるんだよ。嫌いなはずじゃなかったんだ。食ってるのは何度も見てたし」
煉慈のパパと煉慈が冷や奴を挟んで向かい合ってる図を僕は想像した。緊張感に手に汗を握りそうだ。
「それで?」
「長い間、黙り込んだ後……」
不意に、煉慈は無表情に目を伏せた。
煉慈のパパの物まねらしい。
「……鰹節、削ってないのか……」
僕も花も爆笑した。当時の怒りを思い出して、煉慈が布巾をカウンターに投げつける。
「家で削った方がいいなら、そう言えって言うんだよ! つーか、削るのどれだけ大変だと思ってんだよ!」
「だから、寮でも自分で削るんだ」
「鰹節って削れるの?」
「削れる。こんなかたまりのが売っててだな、鰹節削り器ってものがあって……」
解説を始めた煉慈は、花の手元を見て、急に眉をつり上げた。
不愉快さを隠さずに、低く吐き捨てる。調子に乗りすぎてるようだ。
「なんだよ、その爪」
「かわいくない?」
花は両手の指先を口元に当てた。花のネイルは長く整っていて、パールピンクをベースに彩られていた。
花のかわいいポーズにも、煉慈は不機嫌なままだった。
「そんな爪で包丁使えるかよ。テレビの女が長い爪で料理してるのも腹が立つんだ」
「なんで? 何かされたの?」
「いいから、爪切れよ」
「やだよ! サロン行ったばっかなんだよ」
「知らねえよ。爪なんか伸ばして、何の意味があるんだ」
「煉慈だって、髪生やしてるじゃん。何の意味があるの」
花の屁理屈に、うっと煉慈は詰まった。
「丸坊主だっていいはずでしょ。でもしないでしょ。格好付けたいからでしょ。私も格好付けてんの」
「あのな……」
「煉慈が丸坊主にするなら、爪切ってもいい」
つんと花は顔を背けた。
かわいい。僕はめろめろになった。うっとりする僕に、煉慈は必死に訴える。
「こいつ、まるきり子供だぞ! 本当にやる気あんのか!?」
「花はきれいな方がいい」
「おまえが頼むから、俺は来てやったんだぞ!」
「ねえ、早く教えてよ。急がないとお客さん来ちゃう」
「お客さん……?」
おっと。
花が口を滑らせてしまった。
いたいけな煉慈の視線が突き刺さる。
「客って何だ、和泉」
花が横から口を挟んだ。
「ホームパーティだもん。ホームパーティのごちそう作るの」
「……聞いてねえよ!」
僕は煉慈に背を向けた。携帯をいじって訴えを無視する。
「なんだよ、パーティって。誰が来るんだよ」
「知らない。女子会だって」
「女子会!?」
「本当はただのホームパーティだったんだけど、咲が……。あ、煉慈!」
花の声に振り返ると、煉慈はエプロンを脱いで、荷物をまとめていた。
玄関に向かう煉慈を僕は追いかける。
「どこに行くの」
「帰る」
「なんで」
「なんでだと!? おまえの嘘も、服を着てる方が罪悪感がする部屋も、あの材料で急場でこしらえた飯を俺が作ったって客に言われるのもうんざりだからだ!」
「待って、煉慈。今メールが……」
「うるさい! おまえの頼みごとなんて、二度と聞くか!」
僕の声を遮って、煉慈は玄関の扉を開けた。
「きゃ……」
扉の向こうで、小さな悲鳴が聞こえた。
廊下に立っていたのは、大人しそうな、素朴でかわいい女の子だ。
それなりにおめかしをしてるけど、道に迷ったのか、おでこに汗を掻いている。恥ずかしそうに、汗を拭うのがかわいい。
言いかけた言葉を、煉慈の背中に告げた。
「メールが来て、もう着くって」
煉慈は言葉をなくしてた。
あまりの緊張感に、振り向きざま、殴られるかとも思った。
悪ふざけをしすぎたかと。
「知ってると思うけど、僕のメル友の寛子」
上目遣いに煉慈を伺って、煉慈の義母である辻村寛子は会釈した。
「ひ……、久しぶり……」
沈黙した煉慈は、物凄く怒ってる気がした。
純粋にパニックを起こしてるだけだといい。僕の希望的観測だけど。
口を開くまで、煉慈は長い時間をかけた。
「……なんで、ここにいるんだ」
「ご、ごめんなさい。あの、お呼ばれして……」
「誰に……?」
「和泉君に……。和泉君、言ってないの?」
煉慈はようやく、僕を振り向いた。
殴られはしなかったけど、笑い飛ばせる感じでもなかった。
「どういうことだ?」
「だから、メル友」
「なんで……」
「君が返事をしないから、僕が仲良くしてた」
煉慈は眉をしかめた。僕は自分が緊張してることに気づいた。
やりすぎたかも?
「いろいろ、煉慈君のこと、教えてくれたんだよ。この前、揚げ物で火傷しそうだったって……」
「そんなことまで報告してんのかよ」
煉慈の声は低く、途方に暮れていた。
煉慈は僕を振り向かなかった。空気が張りつめていた。
「お客さん、来たのー?」
花だけのんきだ。
僕は表情に出さずに、わりとうろたえていた。煉慈の背中にはらはらする。指をさして笑えない。
迷った末、僕は開き直ることにした。少なくとも、女の子に気まずい思いをさせるわけには行かない。
「寛子、入って」
煉慈の体をどかして、寛子を促した。寛子は曖昧にうなずいて、煉慈の顔を伺ってる。
「おじゃまします……。あの、煉慈君は? 買いだしに行くなら……」
「帰るんだよ」
「あ……。そうなんだ……」
煉慈は沈黙した。
僕はだんだん煉慈が憎らしくなってきた。煉慈さえ明るく笑えば、場の空気が元に戻るのに。
「あの……。あの、私、ごめんなさい……」
「謝るなよ。締め切りが近いからさ、帰ってやらないと」
煉慈の声は優しかった。煉慈は煉慈なりに、大人な態度を取ろうとしてるのかもしれない。
寛子は首を振った。寛子の言いたいことは、別にあるらしかった。
「あの、私、煉慈君も来るって聞いてたから。もう帰るって知らなくて、それで……」
「それで?」
「吾朗さんが煉慈君に用があるみたいで、ここにいるって言っちゃった」
煉慈は目眩を起こしたように、玄関にしゃがみこんだ。
僕は思い出した。明日が締め切りだって、煉慈は言っていた。
「だ、大丈夫? 煉慈君……」
おろおろしながら、寛子は追い打ちをかけた。
「なんかね、煉慈君と明日約束したことがあってね。今日こっちにいるってことは、明日の約束はどうなるんだろうって、そんなことを心配してたよ」
「……殺される……」
「仕事終わったら近くまで来るって言ってたから、それまで待ってたらどうかな?」
「大丈夫だよ、煉慈。日頃の勘で言えば、交渉次第で伸びそうだって煉慈が言ってた」
「おまえ、そんなこと叔父貴の前で言うなよ……!」
煉慈は青ざめて僕を振り返った。
いつもの調子だった。僕はほっとして、僕のペースで、煉慈の腕を掴んだ。
「秘密にしてあげる。ご馳走つくって」
「なんだよ。なんでこんな状況になってるんだよ。俺が何か悪いことしたのかよ」
図体のでかい体で、煉慈はぐったりと着いてきた。
セクシーな照明を浴びた煉慈は、困惑気味に僕を見下ろしていた。まつげよりも、まつげの影が長く伸びている。この部屋では誰もがそうだ。
僕は煉慈と腕を組んで、ぴったりと彼を引き寄せた。傷つけた彼に対して、ちゃんと向き合おう。
少し勇気がいった。
目を逸らしたのは、僕が臆病だったからだと思う。
「花と眞の家に、一人で来たくなかった」
煉慈は何も言わなかった。
どんな顔をしてるんだろう。気になったけど、僕はうつむいていた。
「帰らないで」
煉慈は沈黙した。
ため息をつくような気配の後、煉慈は腕を引き抜く。
背を向けながら、乱暴に僕の頭を撫でた。
「先に言えよ」
煉慈はもう一度、エプロンを着込んだ。僕は機嫌を良くして、彼にまとわりつく。
「ご馳走作れるの」
「買い出しが必要だけどな。後何人来るんだよ」
「三人くらい? 吾朗さんいれるなら四人」
煉慈は渋面になった。背中を叩いて、僕は励ます。
「大丈夫。日頃の勘では、交渉次第で……」
「絶対言うなよ!」
「わかった」
「……ところで、何で寛子がいるんだ。花と知り合いだったのか?」
「ううん。僕が呼んだ」
「なんで……」
「煉慈も僕と同じ目に合わせたくて」
「…………」
「怒った?」
「ちくしょう。怒っていいはずなのに……」
苦虫を噛んだような顔で、煉慈は手を洗った。親愛の印に、僕は後ろからハグをした。
僕を押し退けながら、煉慈が思いついたように提案する。
「白峰も呼ぼうぜ」
「春人? 遅くない、今からじゃ」
「知らねえよ。おまえだって、気まずいから、俺を呼んだんだろ。俺がやって悪いことないだろ」
「ははあ。カースト制度の最下層から抜け出したいんだね」
「はっきり最下層って言うんだな……」
「残念だけど、煉慈。女子会なら春人は水を得た魚だよ。ヒエラルキーは変わらないよ」
「クソ……。何とかして状況を打破しないと……」
深刻な煉慈は、脱出をはかる賢太郎みたいだった。真剣に悩む煉慈を眺めていると、花と寛子の会話が聞こえてきた。
「初めまして、辻村寛子です。お招きいただいて……」
「花だよ。煉慈のお姉さん?」
「あ……。えっと、義理の母親で、あの、煉慈君がいつもお世話に……」
「ああ、継母だ。いじわる?」
「いじわる……?」
「煉慈の方が年近いじゃん。なんで煉慈じゃないの?」
「えっと……」
「煉慈のパパなら、おじさんだね。エッチしつこい?」
「……えっと……」
寛子は耳まで赤くなって、煉慈はぶるぶる震え出した。モンスターが攻撃する前のモーションみたいだった。
僕はきらりと目を光らせた。わかってるよ、煉慈。僕の出番だ。
煉慈は僕の危機を救ってくれる。僕も彼をレスキューしなきゃ。
オーライ、任せて。
「寛子、一緒に買い出し行こう」
「何でだよ!」
煉慈の逆鱗に触れてしまって、僕はうろたえた。気を使ってあげたのに、ひどい仕打ちだ。
「姉貴を連れていけよ」
「でも」
「何だよ」
「寛子と二人にして間違いがあったらいけないと思って」
「…………」
ああ、また逆鱗に触れてしまった。
今の煉慈は素手でシンクを握りつぶせそうだ。
「……いいか。俺も寛子もまともな神経をしてるんだ。あの女の相手ができるのは、おまえしかいないだろ」
「いい響きだね。眞にも言って」
「今から買い出しのメモを作るから、その通りに買い出しを……」
煉慈の声を遮るように、インターホンが鳴った。
「お客さんだ。咲、出て」
寛子と雑談する花は、いいように僕を使った。
執事のように忠実に、僕は玄関に向かった。鍵を回して、ゲストを招き入れる。
「いらっしゃ……」
扉が開いた瞬間、日によく焼けた足が差し込まれた。
引き締まった、筋肉質な女の足だった。褐色の足は、ガッと扉を止めて、そのまま勢いよく開く。
「ごめんなさい、両手が塞がってて」
僕は彼女を見上げた。
健康的な浅黒い肌と、気の強そうなアーモンド型の黒目。
身長は花より低いけど、肩幅と胸板が厚い。おっぱいも大きい。
典型的な水泳体型だ。
紙袋を二つも抱えた彼女は、潜入したスパイのように、敏捷に視線を配った。
「ここで着替えさせて。まだ男子来てないよね?」
「僕と煉慈がいるけど」
「学生は数に入んないわよ。幹事は君のお姉さん? ご挨拶しなきゃ」
靴を脱ぐ動作さえ、彼女は活動的だった。僕は手を伸ばして、彼女の荷物を預かる。洗いたての髪から、シャンプーと塩素の匂いがした。
荷物の中味は着替えと差し入れらしかった。
「今日はありがとう。合コンに呼んでくれて」
「ゆっこのためなら」
「馴れ馴れしい」
フレンドリーな愛称に釘を刺して、鳥沢唯は僕を一瞥した。
煉慈は大胆だった。
僕の肩を掴んで、キッチンの壁に押し付ける。アダルトな空間に、僕は盛り上がってしまう。
「いや、止めて」
「変な声出すんじゃねえよ」
煉慈は大きな手で、強引に僕の口を塞いだ。ちょっと興奮してしまいそうだ。
「なんで槙原の元カノまでいるんだ」
「僕が呼んだから」
「あいつともメル友か」
「そう」
「そこまではいい。いや、全然良くないが。俺が聞きたいのは、なんて言ってあの女を呼んだかだ」
「イケメン揃いの合コン」
「……寛子はなんて言って呼んだ?」
「僕と君の家の親睦会。僕のパパが君のパパの恩師で、この前死んだって言ったら来た」
「断りにくい誘い文句を……」
眉間に皺を寄せて、煉慈はリビングを振り返った。
「……どうりで、全員の服装がバラバラなわけだ」
花はカジュアル、寛子は清楚なフォーマル、ゆっこは勝負服で、リビングで談笑してる。
「ちゃんと説明しなくていいのか。客が揃ったら、さすがに気付くぞ」
「それぞれ楽しむんじゃない?」
ある人は手料理を披露して、ある人は故人を偲んで新しい出会いを楽しみ、ある人は素敵な恋人を探す。
目線は違うけど、パーティの中味なんて、たいがい一緒だと思う。
煉慈も気付かなければ、料理の先生を楽しんだはず。
「本当は春人のママや、御影さやかも呼ぼうと思ったんだけど」
「おまえは一体何がしたいんだ?」
「僕にもわからない」
煉慈は頭を抱えて悶絶した。そういう煉慈は愛くるしかった。僕はそっと彼の首に腕を回す。
耳元で名前を呼ぶと、悲鳴を上げて、煉慈は硬直した。
「変な声出さないで。みんなに聞かれちゃうよ」
「てめえ、この野郎……。いい加減本気でぶっ殺すぞ……」
「情熱的で素敵だね。だけど、リミットが迫ってる」
煉慈は目を見開いた。
壁に投影されている、影で出来た時計の針。
パーティの始まりまで、30分と少しの時間を差していた。
――ここから、煉慈の奮闘が始まるわけだけど、それを自慢するのは彼に譲ってあげる。
僕が話すのはここまで。
おまけ