January 29th is
January 29th is
【1月29日 21時】
東京駅のダイニングバーで槙原と待ち合わせた。
途中で何度か、引き返そうとした。この先に心地いい時間がないことはわかっている。
反省も責任も拒みはしない。だが、せっかく思い出した、誕生日の夜となるとつらかった。
短く息を吐いて、片手で扉を押し開ける。
カウンター席で、槙原は誰かと談笑していた。
見たことのある顔だ。
瞬時に見分けが付かなかったのは、その男が私服だったからだろう。
男が先に俺を見つけて、槙原の肩を叩いた。
「あ。――津久居君、ここ、ここ」
手を振る槙原に、店内の数人が振り返る。
もう一度帰りたい気分になったが、こらえて俺は足を進めた。
スツールに腰掛けずに、荷物をおいて、槙原を見下ろす。
「とりあえず、ビールでいい?」
「何の用だ」
「え?」
「先に用件を言え」
槙原は俺を見上げて、うんざりと閉口した。
陰口をたたくように、隣の男の耳元に顔を寄せる。
「これだもんなあ。歩み寄る気分も無くなりますよね……」
煙草を揺らして、隣の男は笑った。
男の名前を思い出そうとして、眉間に皺が寄る。どこかで会ったはずだ。
「おまえ、あれだろ。変な服を着てた……」
「そういう認識なんだ」
男は首を傾げた。
俺の腕を引いて、槙原が憤慨する。
「失礼だなあ、津久居君は! すごくお世話になった人なんだよ」
「あはは、別に何もしてないよ。実際、変な服は着てるしね」
「そんなことないですよ。格好良いです」
槙原は随分、男になついている様子だった。
甘えを帯びた気配は、教師をしている時よりも、彼を自然な顔にさせる。
男は俺を見上げて、からかうように笑った。
「忘れちゃったんだ。なら、思い出すまで内緒にしておこう」
「教えろよ」
「だめだよ。この人、結構名前教えてくれないから」
「根に持ってるの?」
「まあ、座って。水割りでいい?」
ボトルを傾ける槙原に、渋々、俺はスツールに腰掛けた。
水割りを受け取って、渇いた喉を湿らす。
談笑する槙原と男を横目に、煙草を一本吸い終えた。
カウンターに身を乗り出して、改めて尋ねる。
「――それで。何の用だ」
そればかりだな、と呟いて、槙原は頬杖をついた。
「なんもないよ。こっちに来たから、君が空いてるかなと思って」
「そういう関係じゃないだろう」
「じゃあ、どういう関係にしたいわけ?」
「用もないのに、顔を突き合わせるのはごめんだ。おまえがそう思ってるはずだ」
「じゃあ、なんで誘うんだよ」
「俺が聞いてるんだ!」
「――俺と二人でいるのに、疲れちゃったんだよね」
にらみ合う俺たちを仲裁するように、隣の男が口を挟んだ。
槙原はぎくりとした顔をする。
「緊張してたもんね、槙原先生」
「いいえ! そういうわけじゃなくて。その、飲むなら大勢が……」
「なんだ。おまえら不仲なのか」
「君は黙ってて!」
男は怒っているように見えなかったが、槙原は必死に、とりなす言葉を並べたてていた。
つまり、職場のくだらない軋轢か何かの、ダシにされたと言うことだ。
不機嫌に目を細めて、俺はメニューを取り上げた。摂取したカルシウムは、どこかに蒸発してしまったらしい。
煙草を咥えながら、俺は告げた。
「そういうことなら、奢れよ」
「なんでそうなるんだよ」
「誕生日なんだ」
俺が告げると、二人は同時に、目を丸くした。
「――あ、そうなの?」
「――おめでとう?」
疑問符をつけながら、グラスを寄せられる。
適当に乾杯の音を響かせて、俺は水割りを飲み干した。
【1月29日 22時】
三人で回したボトルは、あっと言う間になくなった。
俺も酒に弱い方じゃなく、男も飲める口だったが、槙原のペースは常人じゃなかった。二本目のボトルは、彼が一人で空けた。
子供たちの話が聞きたかったが、彼らは話題に出さなかった。
故意かもしれない。信用のない記者に、大切な生徒の情報を渡したくないのだろう。
そう考えるのは、卑屈すぎるか。
親権を奪われた父親のように、口にすることが出来ないまま、時間が過ぎていく。
――なあ、あいつらはどうしてる?
カウンターに影が落ちた。
振り返った俺は、ぎょっとして顔を強張らせる。
「石野」
「こんばんは。遅くなりまして」
石野は俺にではなく、槙原に笑いかけた。
来ることを知っていた様子で、槙原は彼に席を薦める。
「どうぞ、座って下さい。お店の場所、すぐわかりました?」
「ええ。前に来たことがあって」
槙原に会釈して見せながら、石野は俺の隣に腰を降ろした。
男4人がカウンターに並ぶ、むさくるしい風景になる。
俺を一瞥するなり、石野はあきれた顔をした。
「あんな拗ね方しなくても……」
「何がだ!?」
「誕生日祝って貰えなくて、ふてくされて帰ったんだって?」
石野と反対側の席から、槙原がにやにやと肘で突いた。
数時間前の出来ごとを思い出して、かっと顔が熱くなった。
あのドライな別れ際を、拗ねただの、ふてくされただの、勘違いされるのは心外だ。
「誤解するな。俺が頭に来たのは……」
「いいって、いいって。子供なんだからなあ、全くもう」
「おまえに言われたくねえよ」
槙原にガキ扱いされるほど、屈辱的なことはない。
俺の腹立ちが収まらないまま、両端の席の男たちが挨拶を交した。
「どうも」
「どうも。お久しぶりです」
槙原の隣の男と、石野は顔見知りのようだ。
殺伐とした空気が漂ったが、槙原は気にしなかった。陽気に手を上げて店員を呼びとめる。
「――じゃあ、グラスも揃ったところで」
こいつは飲めれば何でもいいらしい。
「津久居君、お誕生日おめでとう!」
「おめでとう」
「おめでとうございます」
取って付けたような祝いの声に、苦虫を噛んで、俺はグラスを差し出た。
だが、グラスはかち合わなかった。
あっと槙原が声を上げる。
「なんだよ」
「免許証」
「え?」
「免許証見せて」
唐突に胸倉を掴んで、槙原は迫った。
「免許証? どうして?」
「本当に今日が誕生日か調べる」
「おまえは身分証を提示しないと、知人の誕生日も信じないのか」
「奢らせようと思って、僕たちのこと騙してるでしょ」
肩を揺らされて、咥えた煙草の灰が落ちた。
そこまで信用がなかったのかと、懐に手を差し入れる。
「はいはい、免許証な……」
「そんなに疑心暗鬼にならなくてもいいんじゃない? 槙原先生」
「彼の免許証の写真は面白いので一見の価値がありますけど……」
「そうじゃなくて、あの子たちから聞いたんです!」
あの子たち――幽霊棟の学生だ。
目尻を吊りあげて、槙原は言った。
「津久居君の誕生日は10月20日だって。みんなでお祝いもしたって」
「10月20日……?」
あっ、と今度は俺が声を発した。
三人の男たちの視線が集まる中、蘇った記憶に冷や汗をかく。
言い逃れが出来ない空気に、俺は正直に告白した。
「……それは俺の嘘だ」
彼らは一様に、白い目をした。
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