November 3rd is
November 3rd is
三年生の創立祭への参加は有志だ。
もちろん、幽霊棟の住人に学校行事に積極的な人間はいない。だから、文化祭の空気を伝えてくるのは、毎日がせわしない清史郎だけだった。
彼は後輩なので。
「俺のクラスはびっくりカフェなんだ。びっくりすることばっか起きるカフェなの。なあ、なあ、どんなことが起きると思う?」
清史郎が喋るたび食堂のテーブルが揺れた。炊飯器の蓋を閉めながら、煉慈が清史郎を叱る。
「貧乏揺すりすんな」
「煉慈、当ててみて!」
「注文した食事の中に虫が入ってる」
「それ面白いな」
「面白くねえよ、皮肉だよ!」
瞳を輝かせる清史郎に、煉慈はうろたえた。
文化祭が近づいてきた頃、清史郎は僕らと有志で何かしたいと、毎日ねだっていた。二年のクラスにはなじんでいるみたいだけれど、僕らと一緒じゃないのが寂しかったらしい。
「みんなで一緒になんかやろうよ。ドーナッツ屋とかバンドとか演劇とか迷路とか」
「やだよ、面倒くさい」
「受験生に無茶言うなよ」
口では素っ気無くしながら、僕らは喜んでいた。僕らと一緒に何かしたがる清史郎が嬉しかったからだ。
「いいじゃん! 思い出作りしようよ。だって、みんな、春には卒業しちゃうんだろ? 俺、寂しいもん」
「清史郎……」
ほだされた僕らの前で、清史郎は笑顔を広げた。
「それにさ。みんなだって、去年の創立祭は、思いっきり楽しめなかっただろ?」
「誰のせいだと思ってんだよ!」
笑顔を引きつらせて、瞠が清史郎のほっぺたをつねった。
去年の創立祭は賢太郎の監禁の真っ最中だった。おまけに、花と一晩過ごそうと思っていたら、沼から遺骨が出てきて大騒ぎになった。
僕は大声で泣いて、煉慈は死ぬと言って、みんなズタズタだった。最悪の誕生日だった。
そのことを清史郎に伝えると、彼は申し訳なさそうにした。
「じゃあさあ、俺たちの出し物、咲の誕生日にしよう」
「僕の誕生日?」
「そう。咲の誕生日を祝うのが催し物!」
清史郎が背を揺らすと、テーブルがどしんと揺れた。彼は勢い良く、晃弘を振り返った。
「晃弘、こういう企画って通る?」
「有志団体の人数と企画内容によるね」
「俺たち6人で咲の誕生日を祝うの」
「音響設備は必要?」
「音のこと? ハッピーバースデーは歌う」
「収容人数希望は?」
「お客さんのこと? 超いっぱい」
「おいおい、俺はごめんだぜ。見世物のパンダじゃねえか」
煉慈が顔を顰めた。去年のサイン会とどう違うんだろう思ったけど、口にはしないであげた。
「だいたい、そんな出し物、人が集まるかよ。俺みたいに名が知れてる男ならまだしも和泉だぜ」
「そうだね、煉慈」
意見を肯定する僕に、彼は怯えた。
「なんだよ。悪口じゃないぜ、本当のこと言っただけだ」
「何も言ってないよ」
「じっと見てる」
「だめ?」
「やや右に逸らせ」
煉慈の注文がおかしかったので、僕は右にそらして瞠を見た。僕の視線を受けて、瞠はアイデアを出してくれた。
「お客さんに祝ってもらうショーにすれば? 飛び込みのかくし芸みたいな奴」
「みんなが僕を祝うの?」
「そう。さっちゃん、ちやほやされるの好きだろ」
「好き」
すました顔の瞠に、僕もすまして微笑した。
大勢の人々が僕の誕生日を祝うために壇上に上がる。僕におめでとうと言って、火を吹いたり、宙返りをしたりする。空想の中だけでも、わくわくする企画だ。
だけど、僕は現実を知っている。僕には友達がいない。
このテーブルにいる人たちは、カウントしてもいいと思うけど。
「和泉の誕生日なら、斉木がなんかやってくれるよ。斉木はわりと芸が多いよ」
春人が優しく頬をゆるめた。興味を示して、僕は身を乗り出す。
「斉木ってヨセフ?」
「そうそう」
「どうして、僕の誕生日なら?」
「斉木は和泉がお気に入りなんだよ。勘違いも入ってるけど」
春人は意味ありげに笑った。僕は勘違いについて考える。
僕が僕を知らなかったら、どんな人間だと勘違いしただろう。泣き虫? ガリ勉? オカルトマニア?
初めて会う僕のために、どんなことをして、お祝いしてあげただろう。
「なあ、やろうよ! すごい盛大な咲の誕生日!」
「おまえたちだけでやれよ。俺は人前に出たくない」
「自分で言ったものの、俺も勉強で準備する時間ねえからなあ……」
煉慈は首を振って、瞠は顎を撫でてうつむいた。瞠は二学期の頭くらいから、人が変わったように猛勉強していた。
夢をかなえるなら、僕も勉強をする必要がある。だけど、勉強は苦手だ。
地道に頑張ったり、努力するのは苦手だ。
ショーみたいな毎日がいい。
風船を握ったピエロでいたい。みんなが僕に手を伸ばして、僕の持ち物を欲しがるような。
第一、進路なんかことよりも、防衛作戦が優先だ。清史郎の企画は僕に都合が良かった。
後は有志に必要な人数を集めるだけ。
「創立祭に、花が来る」
ぽつりと僕は呟いた。
煉慈と瞠が、ゆっくりと顔を上げる。
「たぶん、眞も一緒に。……今までの誕生日では、花が一番好きなのは僕だった」
僕の声は静かに食堂に響いた。
かしこまった空気に戸惑いながら、静聴するみんなの真摯さに、照れくささとぬくもりを感じる。
だけど、顔には出さずに、僕はすまして首を傾げた。作戦の遂行のために。
「二人に会う時に、みじめな気分なのは嫌だな」
五名以上の有志が揃って、清史郎は企画書を提出した。
「……失礼しましたー」
職員室を出てくる瞠とばったり出会った。何かの書類を手に持って、瞠はため息をついている。
「何それ?」
「わああっ」
瞠はとびあがって、書類を後ろ手に隠した。なんでもないと瞠は言ったけど、ちらっとだけ見えていた。進路関係の書類だ。
晃弘はもちろん、煉慈や春人も進路を決めて勉強している。二人は根が真面目だから予想内だった。
だけど、瞠が進路に真面目になるのは意外なことだった。瞠は自分に対していい加減なところがあったし、将来の夢があるタイプでもなかったから。
施設の評価を気にして、頑張ってるんだろうか。
「槙原先生に進路相談?」
「うん……」
「頭悪いから無理って?」
「うん」
冗談だったのに、瞠は沈痛に頷いた。僕はうろたえる。
がりがりと髪を掻いて、瞠は続けた。
「あと、髪切れって言われた」
「髪? 切るの?」
「うん。面接とかもあるし、証明写真とかもあるし」
自分でも意外なくらい、僕はショックを受けた。
見慣れた瞠の髪型を変えろという先生に対して、義憤めいたものを覚えたくらい。進路ってなんなんだろう。なんか横暴な王様みたいだ。
僕の憤慨も知らずに、瞠は手を打って提案した。
「そうだ。さっちゃんの誕生日の隠し芸、断髪式にしようか」
「断髪式?」
「そうそう。創立祭のアレの時、みんなの前で切るの」
「面白そう」
笑って頷きながら、僕はうろたえていた。なんでそんなことを瞠はさせようとするんだろう。
瞠が変わったりするのは嫌なのに。
「だろ?」
大きな瞳を細めて、瞠は口端を上げた。僕の狼狽に気づいてるのか、気づいていないのか、良くわからなかった。
歩き出した瞠の後を、僕は必死に追いかけていく。
「失敗するかも」
「いいよ、別に。後で自分で整えるし」
「丸坊主になるかもよ?」
「おお、真面目そうでいいじゃん」
僕は困った。今のままの瞠で僕は良かった。
「いてっ」
尻尾みたいに揺れる一房を、ぎゅっと引っ張る。瞠はのけぞって悲鳴を上げた。
「なにすんだよ、もー」
「こうやって、捕まえられなくなる」
「何? 嫌なの、おまえ」
後ろ頭を手で庇いながら、瞠は目を丸くした。
侮辱を受けたように、僕は羞恥を感じた。もやもやしたこの感情について、僕も良くわかっていなかった。
「嫌じゃない」
「嫌なら別にいいけど。おまえ、こういうこと好きだろ?」
そうなの?
僕はそういうことが好きなの?
「うん」
「だろお? でもちょっとは気ィ使えよな。丸坊主はさすがになー」
「瞠は」
名前を呼んだ僕を、瞠は振り向いた。
昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴る。僕は手に汗を握っていた。
「瞠はそういうこと、嫌いじゃなかった?」
彼は身なりや見かけに無頓着な方じゃなかった。ヘアピンなんか付けたりして、どちらかと言えば、ファッションを楽しんでいた。
教室に帰っていく生徒たちが、僕らを追い抜いていく。瞠は笑った。明るい声だった。
「だってもうさ。女の子になれないこともわかってんし、受験しなきゃだし。だったら、おまえが楽しい方がいいかなって」
楽しいかな?
「派手なこと好きだろ?」
じゃあな、と告げて瞠は教室に帰っていく。
僕は教室に戻らなかった。大変な問題を抱えてしまったからだ。授業どころではなかった。
――創立祭には敵がやってくる。
僕は幸福でいなければならない。じゃないと勝ち目がない。
防御力を上げなきゃならない。いまだかつてないほど、僕らしく、揺るぎないものでなければ。
だけど、僕らしいってなんだろう?
ごきげんな鼻歌まじりで瞠の髪をジョキジョキするのが僕らしいこと? そうかも? たしかに、僕は好きそうだ?
なのに、どうして、うろたえたんだろう。なんで心臓がどきどきしてるんだろう。
早足に廊下を歩いて、誰もいない校舎を進んでいく。急がなきゃと思いながらも、目的地はないままだった。
そうだ、とひらめく。清史郎に会わなきゃ。
二年生のクラスに行って、彼の机の前に立って、肩を揺さぶらなきゃいけない気がした。
ねえ、清史郎はもういいの?
ここから僕らが巣立っていくことに対して、もういいの?
「――こら」
腕を掴まれて、ぎくりとした。
僕の担任の先生が、やんわりと叱る顔で目を細めている。
「教室はあっち。これ以上サボると君も留年しちゃうよ」
「留年したい」
無意識に口をついた。僕は焦燥していた。
「何言ってんの」
「進路志望を変える」
先生の腕を押さえて、真っ直ぐに彼を見上げる。
「ネヴァジスタにする」
途方に暮れた僕の、ブラックジョークのような台詞に、槙原先生は唖然としていた。
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