September 23th is
フロアで弾けているのは、誰でも知ってるダンスナンバーだ。
秋の長雨も、夏の終わりも吹き飛ばす、はしゃいだディスコソング。熱帯魚のように壁を泳ぐライトの中、俺は煙草をくわえる。
「9月だけに」
「今夜はよせ」
ぱしりと取り上げたのは、賢太郎だった。壁にもたれた賢太郎は、スピーカーから迸る爆音に、うるさげに顔をしかめている。
文句を言うのを止めて、俺は行儀よくジンジャエールを飲んだ。隣に肩を並べて、壁に片足の踵をくっつける。
「踊ったことある?」
「昔はな」
「踊り方教えてよ。女の子の前で恥はかけない」
「音楽に体を乗せればいいだけだ」
音楽に体を乗せてる賢太郎を想像して、俺はちょっと吹き出した。ブースのDJが続けざまに同じ曲をかける。次は女性ヴォーカルのトランスっぽいアレンジ。
「この曲ばっかり」
「九月だからな」
肌の露出の高いお姉さんを目で追いながら、賢太郎が頷いた。
今日は俺の誕生日だ。誕生日に俺の願いは叶った。彼女の証言によると、彼女のラブレターを開いたとき、俺はこう言ったらしい。
「やった。会ってみようかな。誕生日ぐらい女の子とデートしたいもんね」
いかにも俺が言いそうなことだ。俺は記憶をたどるのを止めて、賢太郎のグラスをのぞいた。
「何飲んでるの?」
「ハイネケン」
「ちょっと頂戴」
「我慢しろ。彼女を幻滅させるようなことをしたら、殺されるかもしれないんだぞ」
物騒な台詞に、俺はにわかに緊張した。
トイレから戻った彼女が、ゆっくりフロアを歩いてくる。ほっと息をつきながら、賢太郎が額の汗を拭う。
「ドレスでも着て来たらどうしようかと思ったぜ……」
「ドレスは着ないよ。白のワンピースに、紺のカーディガン。レースが付いたショートブーツ」
「……俺にはジャケットを着た男に見えるけどな」
唸るような賢太郎を無視して、俺は壁から背を離した。
足早に近づいて、彼女に微笑みかける。
「踊ろう」
不安げな彼女の背を抱いて、俺は片目を閉じてみせた。
「大丈夫。音楽に身を任せればいいんだ」
Do You Remenber?
五条知恵という女の子からラブレターを貰ったのは、一週間前の雨の日。
下駄箱に入っているという古風な登場の仕方だった。
「西園寺女学院の子だって。お嬢様かな、字がきれい」
「受験生に彼女なんて無用ッスよ」
「ふふふ。羨ましいんでしょう」
「羨ましくなんかねえよ。――あれ?」
「こら。覗いちゃだめだって」
かわいらしいレターセットを覗き込んで、瞠が首を傾げた。
「ごめん。下のところ、メアドが斜線で削ってあったから」
「本当だ。なんでだろう」
「メールで連絡は止めてってことじゃない? 西園寺まで行って投げ文しないと」
「しちゃおうかな。会ってみたい」
「本当に?」
「だって、もうすぐ誕生日だもん。誕生日くらい、受験を忘れてデートしたいじゃない」
こうして笑っていたけれど、忙しくて西園寺に行くことはできなかった。メールはしてみたけど、宛先不明で戻ってきた。
モテない男子校性のいたずらだったのかもしれない。そんな風にして、俺は手紙のことを忘れた。
だけど、予兆はいくつかあったんだ。
――ケース1。
「ごちそうさま」
「ごちそうさん。お皿流しに入れといて、後で洗いに来る」
「あいよ」
夕食が終わって、俺たちは各自席を立った。自室に向かおうとした矢先、目の前を歩いていた茅が振り返る。
「あれ?」
「どうしたの」
俺の目を見て、茅は尋ねた。
「あの女の子は?」
「女の子? 和泉、また連れ込んだの?」
肩を竦めて、俺は和泉を見やった。テーブルで携帯電話をいじながら、顔も上げずに和泉は答える。
「知らない」
「……茅、大丈夫?」
目を凝らす茅が心配になって、俺は彼の背を撫でた。彼はたまに、今と過去と仮想をいったりきたりする。
茅は戸惑いを浮かべて、何でもないと首を振った。階段を上りながら、独り言のように呟いて。
「白峰の後ろにいたんだけどな……」
――ケース2。
メンテナンスという口実で、その日は一日中、賢太郎はドイツ車を運転していた。俺も便乗して受験の息抜きを楽しんだ。
その帰り道だ。高速を降りて寮まで送って貰いながら、俺は助手席でラジオから流れる歌を歌っていた。日が落ちた山道は暗かった。
ふいに、何もしないのにCDトレイが出てきた。
最初は振動の弾みで誤動作したのだろうと、指先で押し戻した。だけど、またすぐに出てくる。
「あれ……?」
「どうした」
突然、ラジオがふつりと止んだ。
今度は押し戻しもしないのに、CDトレイが戻った。また飛び出す。がしゃん、がしゃん、と繰り返す。
明らかに異様だった。通り過ぎる景色の中、山道のミラーの下に献花を見て、薄ら寒くなる。
「賢太郎……」
俺はとっさに、運転中の彼の腕を掴んだ。
かしゃんかしゃんと不気味な開閉を繰り返すトレイを見て、賢太郎は素っ気なく言う。
「故障かな」
なんてのんきな男だ。
「そうじゃなくて、なんかおかしいでしょう。……おかしいよ!」
トレイの開閉が早まって、俺は声を上擦らせた。
「修理は俺が持つようかな」
「どうでもいいよ……! ねえ、見てよ! これ絶対変だって!」
「そうだよな。保証の範囲内だろ」
「さっき花束見たんだ。事故現場とかで……、ねえ、ねえ、どうしよう!?」
俺はパニックを起こしかけた。シートから腰を浮かせながら、背後を振り返る。
「わっ」
「ぎゃあああああっ」
大声を出す賢太郎に飛び上がって、天井に頭をぶつけた。
「……! ……!」
怒りにまかせて賢太郎の耳を引っ張っているうちに、CDトレイは動かなくなっていた。故障だろうと言うことで、その日は片づいた。
だけど、その日以外、同じ動作不良が起きたことはない。
――ケース3。
入浴中の出来事だった。幽霊棟の浴室は広くて古い。だから、俺はみんなが食堂に残っている時間に入るようにしている。
ごしごしと髪を洗っていると、どどどんと扉が揺れた。
「…………!」
風が地震かと、目元を拭って、あたりを見渡した。だけど、異変はない。
和泉か瞠がソファでジャンプでもしたんだろう。そう思って洗髪を再開すると、また扉が振動した。不気味な出来事が続いて、俺は怖くなる。
こんな時に必ず思い出してしまうのが、辻村の言葉だ。あの男が口にした中で、最もタチが悪い台詞。
水辺と鏡のあるところには――
「水辺と鏡のあるところには、霊が集まりやすいんだってな」
昔、俺が風呂に行く前に、にやにやしながら言った。最悪だ。風呂にはどっちもある。
視界が途絶えてるのが怖くて、俺は早めに泡を流した。
「茅ー」
目を閉じてシャワーを浴びながら叫ぶ。叫んでいると安心する。
「茅ー。一緒に入ろうよー。茅あー」
瞬間、冷たい手が、俺の足を掴んだ。
「ぎゃあああああっ」
立ち上がろうとして、俺は滑って尻餅を付いた。シャワーの水音と、桶の弾む音に混じって、携帯のシャッター音がする。
和泉が戸口に立っていた。悲鳴を上げた後、俺は激怒した。
「止めてよ! 子供っぽいことするの! さっきからドア叩いてたのも和泉でしょう」
「違うよ」
和泉はうそぶいた。
「晃弘呼んでたから、怖くなったんだろうなと思って」
「思って?」
「足を掴んだ」
「最悪」
泡を飛ばして、俺は和泉を攻撃した。ごしごしと鼻先の泡を拭いながら、和泉が真顔で尋ねる。
「誰か立ってたよ」
「止めてよ! また怖がらせようとして……」
「ホント」
「本気で怒るよ。早く脱いで」
「え?」
「一緒に入って」
「わかった」
和泉が浴室に入ってくるまで、俺は泡を流さなかった。