- 外国の豪華客船が横浜に寄港するという話を聞いた。
- 船が好きな晃弘に伝えると、ぜひ見に行きたいと言った。俺も快く連れて行ってやると約束した。
- だが、だんだん面倒臭くなってきた。
- (見るだけだろ。乗れるわけでもなし。港は寒いだろうし、人も多いだろうし、写真でも見てりゃいいじゃないか。何を物好きな……)
- 当日に断りの連絡を入れたところ、もう家を出たと言う話だった。早すぎる。子供相手にすっぽかすのも気が引けて、俺は仕方なく電車に乗った。
- 誰だってこういう気分の時はあるはずだ。約束した時までは乗り気でも、果たす段になって萎えている時が。
- (速攻で見て、速攻で帰ってこよう……)
- だが、運が俺に味方をした。
- 晃弘と一緒に瞠もいたのだ。
- 「おまえも来たのか」
- 「悪いかよ。茅っぺ一人で遠出とか心配じゃん」
- 「悪くない、悪くない。二人で行って来い」
- 「は?」
- 瞠が顔を顰め、晃弘が目を丸くした。
- 「このあたりで時間を潰してる。昼飯は奢ってやるから、港から戻ったら連絡しろ」
- 「……あんた、そんなに俺が嫌いなの?」
- 「そうじゃない。それはおまえだ」
- 「面倒臭くなったんだな?」
- 「言い方を変えればな」
- 俺は肩を竦めて、駅前の景色を見渡した。俺好みのパチンコ屋が目に入る。久しぶりに打ってもいい。
- 「津久居さん」
- 「なんだ。行っていいぞ」
- 「僕が何かしましたか?」
- 「違うよ、茅っぺ。こいつ純粋に面倒臭くなったんだよ。そういう奴だよ」
- 「でも、約束をしたんだよ」
- 「こいつはそういう奴だよ。おい、賢太郎。歩いて10分じゃねえか、付き合えよ」
- 港の方角に向かう人並みを眺めて、俺は肩を竦めた。
- 「寒い。人ゴミだろ」
- 「おめーが茅ッペ誘ったんだろうがよ」
- 「瞠がいるならいいじゃないか。戻ったら連絡しろ。フィーバーしていたら手が離せないかもしれないが」
- 「パチンコかよ、この野郎……」
- 「津久居さんは船が見たくないんですか?」
- 「ああ」
- 晃弘はショックそうな顔をした。瞠が額に青筋を浮かべる。
- 「言うなよ、そういうこと!」
- 「乗れるならまだしも、見るだけだろ。写真かネットの映像でも見てればいいじゃないか」
- 「…………」
- 「おま……。楽しみにして来た人の前でそういうこと言っちゃうか!?」
- 「だからさ。興味のない奴と行ったってつまらないだろう? わからない奴だな」
- 俺はあきれて肩を竦めた。子供は予定にとらわれて、合理的で臨機応変な判断が出来ないから困る。
- 晃弘が視線を背けて、瞠を促した。
- 「久保谷、行こう」
- 「でも、茅サン……」
- 「楽しんで来い。終わったら電話しろよ」
- 晃弘はくるりと振り返って、おもむろに靴を脱いだ。
- 俺に投げつけた。
- 「いた……っ」
- 「もう貴方と約束はしません」
- うんざりと靴を持ち上げて、俺は晃弘に向かって放った。
- 「ほら、靴。そういう態度を取るなら、昼飯も奢らず帰るぞ」
- 「帰れば?」
- 「いいんだな。俺はこういう時本当に帰るぞ」
- 「この男……」
- 「待って、茅サン。こいつに約束守らせっから」
- 歩き出す晃弘を引き止めて、瞠が携帯を取り出した。
- 瞬きをする俺の前で、誰かと通話を始める。険しい表情で会話をした後、瞠は黙って俺に携帯を差し出した。
- 「誰だよ」
- 「いいから出ろよ」
- 「誰だ」
- 「いいから!」
- 舌打ちまじりに、俺は携帯を耳に押し当てた。相手が誰であろうと、俺の弁舌でねじ伏せてやるつもりだった。
- 「誰だ、おまえ。余計な口を挟むな」
- 『兄ちゃん、約束破んの?』
- 背筋が凍った。
- 「おま……、どこに……」
- 『兄ちゃん、約束破るの得意な?』
- 「いや、そうじゃない。晃弘と瞠の仲を深めようと……」
- 『嘘も得意か?』
- 「…………」
- 『後ろ』
- 「……は?」
- 『後ろ、振り返ってみて』
- 「…………」
- ごくりと唾を飲み込んだ。
- ホラー映画の主人公になった気分で、ゆっくりと背後を振り返る。
- ——直後、けたたましい笑い声が聞こえた。
- 『あははは! 残念でした、いませーん!』
- 「……怖いことするなよ!!」
- 安堵のあまり俺は大声で叫んだ。晃弘と瞠が俺の姿を見て笑っている。
- いまいましい人ゴミの中で、俺も苦笑するしかなかった。
- 『船見に行くだろ?』
- 「ああ」
- 『二人のことよろしくな』
- 「ああ」
- 『運が良ければ、手を振ってる俺が見えるよ』
- 「乗ってるのか!?」
- 『嘘』
- 「…………」
- 携帯電話の通話を切って、俺は歩き始めた。
- 晃弘と瞠に何度も頭を下げながら。