- 浴室で体を洗っていると、ガラリと戸が開いた。
- マッキーだった。
- 「ありゃ、久保谷君入ってたんだ」
- 湯気の向こうで、マッキーは戸口に立ち尽くしていた。
- 「あ、いいよ、入って。カランまだ空いてるし」
- 平静を装いながら、俺は内心ひどく動揺していた。他の奴とは良く風呂場で鉢合わせるけど、マッキーとは初めてだった。
- 初めて、全身の傷を見た。
- 「平気かなー。淫行罪とか言われないかな」
- 「そこに立ったままガン見される方が、俺的には淫行罪なんスけど」
- 「ガン見はしてないッス」
- 「風邪ひくから入っちゃいな。黙っててやるから」
- マッキーはちょっと考えて、浴室に入ることにしたようだ。ぺたぺたと歩いて、カランの前に腰掛ける。
- 勢い良く出たシャワーに湯気はいっそう濃くなっていった。それでも、傷跡ははっきり確認できる。
- (どうしよう、傷の話題に触れないのも……。でも、言ったらマッキー傷つくだろうし。それとも、黙ってる方がわざとらしいかな……。気を使って何も言わないんだなあって、嫌な気持ちになるのかな……)
- 「なんかさ、修学旅行とかで、先生は一緒にお風呂入らないじゃない」
- 「え? あ、うん」
- 「だから、だめなんじゃないかなと思って。一緒にお風呂入っちゃだめなんですかって、他の先生に聞いてみたら、考えればわかるでしょうって言われたんだよね」
- 「それでいつも最後に入ってたんだ」
- 「うん。傷とかもグロいから気持ち悪いだろうし」
- 本人に言わせてしまった。体を洗いながら、俺は青ざめる。
- 「そ……、そんなことねえよ」
- 「ああ、久保谷君はね。なんか大丈夫そう。スプラッタとかグロとか」
- 「……そんなことねえよ? 13日の金曜日は泣きながら見てるよ?」
- 「ホント? 久保谷君って気弱なところもあるけど、変にたくましいから……うひゃあ!」
- 「ど、どうした!?」
- 「いきなり水になった! クソ! ビビッた!」
- シャワーの放水を避けながら、泡だらけの髪でマッキーが罵倒する。俺は慌てて自分のシャワーを止めた。
- 「二個同時に使うと、たまにどっちか水になんだよ。俺の方切るから」
- 「大丈夫、大丈夫。顔だけお湯かけて」
- 「顔だけ?」
- 「目が開かないから」
- 戸惑いながら、俺はマッキーの顔にシャワーを当てた。細かい泡が流れ落ちて、首筋へと垂れ落ちていく。
- 施設育ちだから、こういうやり取りは慣れていた。だけど、大人としたことはない。ましてや、学校の先生とは。
- (いけないことなのかな)
- 教師と生徒の共同生活は、色々難しいのだろう。自分たちの知らないところで、マッキーは気を使ってるのかもしれない。
- 「は……。もう大丈夫。使い終わるまで待ってます」
- 「はい、急ぎます」
- 膝の腕に手を置いて、マッキーは待機姿勢になった。俺は急いで体の泡を洗い落としていく。
- 「白峰君のお父さんはさ、嫌だと思うんだよね」
- 「え……?」
- 水音の向こう、彼の声は聞き取りづらかった。
- マッキーは鏡を覗き込みながら、首筋の傷跡を撫でている。
- 「息子さんと一緒に教師がお風呂に入ってますってさ。茅君や辻村君のお父さんも、うん?って思うだろうし。花ちゃんは気にしないだろうけど」
- 水しぶきにくもった視界の先、マッキーが俺の顔を伺っていた。
- 「神波さんは嫌だと思う?」
- 反射的に発した俺の声は、シャワーの中で宇宙人の声みたいになった。きちっとシャワーを止めて、俺は自分の顔を撫で付ける。
- 眉間に皺が寄っていた。
- 「はい、いいよシャワー。……なんで、あいつが出てくんの」
- 「久保谷君のお父さんみたいな人じゃん」
- 「マッキーはいつもそういうけどさ。全然違うよ、親代わりなんかじゃねえから」
- 「16歳も年が離れてたら親みたいなもんでしょう」
- 「……年齢的にはそうかもしれないけど。あいつは俺のこと、子供代わりなんて思ってないよ。そう思ってたら、もっと……」
- 言葉を濁す俺をマッキーは黙って見つめていた。濡れた髪からぽたぽたと雫がこぼれていく。
- 誰かの子供になるなら、あんたがいいのに。
- あんたがルールを決めてくれればいいのに。
- あんたの言いつけを守って生きるなら、俺はいい人間になれる気がする。
- 「マッキー、髪流して。背中洗ってあげる」
- 「えー! いいよ、いいよ。しごいてるみたいじゃん」
- 「どんなシゴキだよ。いいんだよ、俺は文句言う親もいねえし」
- 風呂椅子を引き寄せて、マッキーの背後に陣取る。
- 傷跡の少ない背を見つめて告げた。
- 「誠二には内緒」
- シャワーで髪を洗いながら、マッキーがゆっくり振り返る。水しぶきに瞼を閉じたまま、その口元は笑っている。
- 蒸した空気に浮かぶもやのように曖昧に。
- ともすれば——
- 駄々っ子をあやすように。
- 「早く大人になって。僕の生徒を卒業して」
- 濡れた俺の手首を掴んで、彼は甘やかに囁く。
- 柔らかい毛布で包み込むように。
- 「そんなことをするよりも、温泉に連れて行ってよ」
- 線を引かれたのか、本音を言われたのか、俺にもわからなかった。