- 「茅、手伝え」
- 夕食前、俺の台詞に、茅は正気を疑う顔をした。
- 「僕がか?」
- 「そうだ。少しは料理を覚えろよ。一人暮らしをしたら、どうやって生活するつもりだ」
- 「外食」
- 「太るぞ。それに料理が出来る男はモテるんだぜ」
- ひやかし混じりに告げると、茅は真顔で問い返してきた。
- 「君は料理が出来てモテたことがあるのか」
- 「うるさい。黙ってこっちに来い」
- 眉間に皺を寄せて、俺は茅を恫喝した。寛子との仲が進展したのだって、俺が魚をさばけたからだ。いまどきは芸能人の男だって料理の腕を披露している。
- 茅に料理を手伝わせようと思ったのは、単なる思い付きじゃなかった。
- 茅は刃物が苦手らしい。だが、刃物に慣れ親しんだ方が日常生活は便利だ。
- 気楽な坊ちゃんだと思っていたが、茅も色々苦労してきたようだ。その事情を知って、俺なりに気を使ってやっているというわけ。
- 「まず芋を剥け。包丁が苦手なら皮剥き器を使えばいい」
- 「君が使ったら?」
- 「おまえに教えてやってるんだよ」
- 「どうして……。頼んでもないのに……」
- 俺の誠意を感じ取ったのか、茅は感嘆を漏らした。戸惑いながらも皮剥き器と芋を両手に握り締める。
- 「芽の部分は包丁を使うんだ。難しかったら、それは俺がやってやる。やってみろ」
- 「……どう使う?」
- 「カンナと同じように」
- 俺は笑いながら、手を洗ってエプロンで拭いた。視線を戻すと、まな板にジャガイモを押し付けた茅が、皮剥き器を横に引いているところだった。
- 「いや、芋は手に持って……」
- 「……こう?」
- 「そうだ。それで皮剥き器を下に……」
- 「痛……っ」
- 「ええ!? 皮剥き器で怪我した奴、初めて見たぞ!」
- 「……指を切った……」
- 「俺を睨むなよ……。切ったのは自分のせいだろ……」
- 「……もうやりたくない」
- 「もう一度だ。力を入れすぎたんだよ。おまえはいつも手加減しないからな」
- 「…………」
- 「ため息をつくな」
- 「久保谷を呼んでいいかな」
- 「手伝わせるな」
- 「僕は君に何かしたのかな……」
- 「嫌がらせじゃないっつってんだろ。……ジャガイモからは難易度高いか。ニンジンを剥いてみろ」
- 「……剥けた」
- 「だろ?」
- 「剥きやすい」
- 「な?」
- 「最初からニンジンをやらせてくれれば良かった」
- 「文句が多い奴だなあ……」
- 「辻村はどうして料理が好きなんだ。こんなに大変なのに」
- ニンジンから目を離さずに、真剣に皮を剥きながら、茅が尋ねた。
- 瞬きをした後で、俺は頬をゆるめる。
- 片手を腰に当てて、軽く肩を竦めてみせた。心からの愛情をこめて。
- 「そりゃ、ごちそうさまを言う顔が好きだからさ」
- 『……そりゃ、ごちそうさまを言う顔が好きだからさ』
- 直後、俺の声がリフレインした。
- 「…………」
- 不吉な予感に振り返る。
- 携帯を構えた和泉が、真後ろに立っていた。
- 「名言すぎて」
- 「お……」
- 「音声メモした」
- 「止めろ……!!」
- 『そりゃ、ごちそうさまを言う顔が好きだからさ』
- 「止めろよ! 消せよ……!」
- 『そりゃ、ごちそうさまを言う顔が好きだからさ』
- 「……止めろ、この野郎……!」
- しばらくの間、食事のたびに、この音声が再生された。