• 眠っている白峰は温度が高く、ぐんにゃりと猫のようにやわらかい。
  • 彼の手首を持ち上げると、ぶらぶらと指先が揺れる。僕にすべての重みを預けて。
  • 「……何をしている」
  • 「白峰が寝てしまったので。津久居さんこそ、今夜はどうしたんですか」
  • 「春人に会いに来た」
  • 「あいにくですが、白峰は寝ています」
  • 「見ればわかる」
  • 僕は白峰の背を支えて、ソファに座る姿勢にしてみた。ずるずると背中は崩れ落ちて、ぽとりと反対側に頭が落ちる。
  • 彼の隣に腰掛けて、僕はもう一度白峰を抱き上げた。ぐったりと僕の手に背を預けて、白峰の首がのけぞる。
  • もう片方の手で、頭の後ろを支えた。
  • 「おい」
  • 「なんですか」
  • 「よせよ」
  • 僕は白峰から目を離して、津久居さんを見上げた。彼は複雑そうな顔で、くわえた煙草の先を揺らす。
  • 「春人がかわいそうだろ」
  • 「寝てるからわかりませんよ。あなたの家に泊まりに行ったときも起きなかったでしょう」
  • 「起きなかったが……」
  • 「手を持ち上げてみましたか?」
  • 「手?」
  • 「持ち上げてみて」
  • 津久居さんは煙草を灰皿に置いて、ゆっくりと白峰の腕をとった。羽ぼうきを手に取るように、そっと持ち上げる。
  • 白峰は瞼を閉じたまま、寝息をたてていた。
  • 津久居さんはわずかに得意げな顔をする。
  • 「知ってるさ。何をしても起きないこと」
  • 「体が暖かくなることも?」
  • 「やわらかくなることも。全身の力が抜けてるからな。死んでるんじゃないかと最初は驚いた」
  • 「僕もです」
  • 「とにかく、寝てる奴で遊ぶのは止めろ。……おまえ、いつもこんなことをしてるのか」
  • 「起きてると触らせてくれないから」
  • 「確かにな」
  • 津久居さんは白峰の肩を掴んで、ゆさゆさと揺らした。口を閉じた白峰が、わずかにうめき声をたてる。
  • 「ん……」
  • 僕はとんとんと彼の胸元をたたいた。津久居さんも手を離して、僕の好きなようにさせた。
  • 心地よいリズムを受けて、白峰がまた眠りを深めていく。
  • 「…………」
  • 「…………」
  • 僕らは同時に楽しくなった。起こしかけては寝かすゲームをはじめる。
  • 白峰の顔の真上で、ぱちんと手を叩いて音を鳴らす。彼は眉を下げて、とても悲しそうな顔をした。胸が痛くなるくらい。
  • 津久居さんまでもが、同情深そうに眉を寄せる。
  • 「……ひどいことするなよ」
  • 「すいません……」
  • 「貸してみろ」
  • 「何を?」
  • 「春人だ。そこをどけ」
  • 「嫌ですけど」
  • 「いいか。二度とおまえの電話には出ない」
  • 「…………」
  • 彼は本当に薄情な人だ。僕は心底軽蔑しながら、渋々場所を譲った。
  • 津久居さんは少しうきうきしていた。
  • 「何をするんです?」
  • 「ドッキリを仕掛ける」
  • 僕は感心した。やはり彼らは兄弟だ。清史郎から聞きなれた言葉を、彼の口からも聞くことになるとは。
  • 「家系ですか?」
  • 「何の話だ。こっそり場所を移動させよう。どこで目を覚ましたら驚くかな」
  • 「驚かないと思いますよ。起きて30分たたないと正気つかないから」
  • 「目を覚ました瞬間に違和感のある場所がいい」
  • 「貴方の家じゃないですか」
  • 津久居さんは瞳をきらめかせた。残念そうに白峰を見下ろして呟く。
  • 「バイクで来ちまったからな……」
  • やはり兄弟だ。
  • 眠っている白峰はにやりと笑わないせいか、幼げで柔らかい印象がする。赤ん坊みたいでとてもかわいいと思う。
  • 津久居さんも同じように思うのか、じっと白峰を見つめている。たまにまつげをくすぐって起こしかけては、胸元を叩いて眠らせていた。
  • 「どこがいいかな」
  • 「急いで決めた方がいいですよ」
  • 「どうして」
  • 「辻村と久保谷が帰ってくるから。あの二人は寝てる白峰に僕が何かすると止めようとするんです」
  • 「あいつらは過保護だからな。三年寝太郎が悪いんだ」
  • 「三年寝ただろう?」
  • 「寝太郎。名前だ」
  • 「貴方の親戚ですか」
  • 「殺すぞ」
  • 「響きが似ていたから」
  • 「……ん……」
  • 白峰がかすかに吐息をはいて、僕らは動きを止めた。彼の唇がわずかに動いて、止まるまで、じっとしていた。
  • 「こいつは……」
  • 白峰の頭を撫でながら、津久居さんが囁く。そっとした優しい声だった。
  • 「まだ怖い夢を見るのか」
  • それは僕に向けた問いじゃないとわかっていた。彼らの足下に膝をついて、僕は白峰の手を握る。
  • 力の抜けきった、昼寝中の猫のような感触。
  • 彼の手に無理矢理、僕の指を握らせて、僕は微笑んだ。
  • 「貴方が怖いことを企むなら、怖い夢を見るかもしれませんよ」
  • 津久居さんは眉を上げて、僕に苦笑をしてみせた。
  • よいしょと腰を落として、白峰を抱き上げる。僕に毎朝起こされるときのように、白峰はぐったりとしている。
  • 彼の体の温かさに、津久居さんも驚いているだろう。
  • 「どこに連れていくんです」
  • 「お楽しみ」
  • 「……んん……」
  • 「しぃ。……まだ起きるな、春人」
  • 「眠ってて、白峰」
  • そうっと、そうっと、音を立てないように床を踏む。
  • 目を覚ました彼が、びっくりして声を上げるように。その後で笑い転げてくれるように。
  • いたずら心を誘う寝姿だから、仕方がない。
  • 悪気がなければ、許してくれる人だから、仕方がない。
  • 津久居さんに何度騙されても。
  • 僕に何度つけいられても。
  • 「……なにやってんスか、あんたら!」
  • 「白峰をどこに連れて行く気だよ!」
  • うるさい連中が帰ってきた。僕は津久居さんのまねをして、口の前に人差し指をたててみせた。
  • 彼の眠りを覚まさないように。