- 白峰がよく笑うから楽しかった。
- 爪先が凍える寒さでも、うんざりするくらい、真っ白な雪の道が続いていても。
- 「最終バス逃しちゃうなんて運がないね」
- 嘆きながらも、白峰は笑っていた。彼が蹴飛ばした雪が月夜の下を舞う。
- 俺もよく笑っていたと思う。
- 「タクシーに乗れば良かったのに」
- 「お金ないし」
- 「そのくらい奢ったさ」
- 「だって、奢って貰ってばっかりじゃない」
- はた、と笑みを消して、白峰は顔を上げた。白い息を吐き出しながら、マフラーの中に鼻先を埋める。
- 「辻村はその方が楽だったよね。ごめん、付き合わせて」
- 「別に」
- 声を塞ぐように早口で告げた。笑顔を消させる時間がもったいなかった。
- 「俺はいいんだよ、運動不足だしさ。雪だし。……だけど、おまえがさ」
- 自分の声が妙に優しくて、俺は気恥ずかしくなった。手袋をした指で、鼻先を擦りながらうつむく。
- 「暗い道は好きじゃないだろう」
- 隣を歩く白峰が、俺を覗き込んでいた。驚いたような気配を察して、彼が口を開く前に言う。
- 「なんだよ」
- 息をくもらせながら、白峰は笑った。ポケットに手を入れながら、照れ臭そうに肩を竦めている。
- 「平気だよ。今夜は月も明るいし……」
- 言葉に迷ったように沈黙した後で、白峰はそっと小声で付け足した。
- 「ありがとう」
- さくさくとゆっくり雪を踏んで歩く。澄み渡った空に月光が輝いている。
- 俺たちは同時に吹き出して、寒さに丸めた背を揺らした。
- 「なんで笑ってるんだよ」
- 「辻村だって」
- 「今日のおまえ、おかしいぞ。文句も言わないし、むっとすることもないし……」
- 「あはは。いつも不機嫌みたいに言わないで」
- 「不機嫌だろ」
- 普段なら口論に発展するやり取りも、穏やかに交し合えた。俺を見上げた白峰が、柔らかい笑みを浮かべる。
- まるで祝福の花束のようだった。
- 「辻村が優しかったからだよ」
- 「…………」
- 「勝手に決め付けなかったし、ちゃんと俺の意見も聞いてくれたし……。普段はこんなだよ、俺」
- 再び微笑にマフラーを隠して、白峰は瞳を細めた。
- 何かに胸が震えて、彼の腕を取りたくなった。足を止めさせて、何かを伝えたいような気がした。
- だけど、それはもう必要ないんだろう。
- 「だからさ……おかしいのは辻村だよ。変なもの食べたんじゃないの」
- 皮肉を言いながらも、白峰は嬉しそうだった。
- 彼が笑うのが嬉しくて、素直に愛しいと感じた。今までの行いの数だけ、彼のことを大切にしたいと深く思った。
- 口を開いたのは、余計だったかもしれない。だけど、語るには気分のいい日だった。
- 「おまえを先導しないと、馬鹿にされると思ってたんだよ」
- 雪の中で足を止めて、白峰が振り返る。小首を傾げる動作に、髪が揺れた。
- 「俺に?」
- 「そう。それに……おまえの面倒を見てやってるつもりでいたんだ。俺の言うことを聞かせることで」
- 「…………」
- 「頼られたかったんだ、たぶん」
- ゆっくりと瞳を開いて、白峰は言葉を失っていた。
- 寒さのせいではなく、凍えた頬が赤く染まっていく。彼の羞恥が伝染して俺も赤面した。
- 「……なんだよ、その顔」
- 「……だってさ……」
- 「いいよ、もう……。ほら、歩こう」
- 白峰の背を押して、気の遠くなる帰り道を促す。くすぐったそうに肩を竦めながら、白峰は俺の腕を引いた。
- 「あはは……。照れてるなら言わなきゃいいのに」
- 「おまえがそういう雰囲気にしたんだよ」
- 「もう終わったの?」
- 「え?」
- 悪戯っぽく瞳を細めて、試すように白峰が笑う。
- 「頼って欲しいって。もう終わっちゃったの」
- 意味もなく緊張して、俺は視線を逸らした。
- 辿り着けなかった俺の理想の像が、月の向こうで笑っている。
- 雪が跳ね返す光に目を伏せた。
- 「出来ないだろ、俺には。……おまえに必要ないだろう」
- 「…………」
- 「賢太郎や茅の方が、一緒にいやすいだろう」
- 彼は沈黙したまま、眩しそうに瞳を眇めた。
- ふいに白峰が手を伸ばして、俺の手首をゆるく掴む。弟の手を引く兄のように、彼はゆっくりと歩き出した。
- 月の輝く幻想的な雪景色の中で。
- 「月も明るいし、辻村がいるから平気だよ」
- 「何が……」
- 「さっき言いかけたこと」
- ちらりと視線を投げて、白峰がにやりと笑う。はにかんだ頬を隠さないまま。
- ああ、また。
- 言葉にならない何かがあふれる。
- 「ねえ、何か言ってよ」
- そんな時に限って、こいつは愛らしい無茶を言う。
- 「きっと今夜は思い出になる。作家先生の名台詞が必要だ。……思い出すたび、感動するような」
- 胸を逸らすような、緊張を与える。
- 敗北しても、決して恥じない勝負を、もう一度。
- 「言って」
- 口元をほころばせて、俺は新しい言葉を生んだ。