• 和泉が泣いているのを初めて見た。
  • 泣いているのは誰も同じだった。久保谷も、白峰も、茅も泣いていた。
  • 白峰は折れるように泣いた。久保谷は顔を歪めて、涙で顔を溶かしていた。
  • 和泉の泣き声は罵声のようだった。
  • 幽霊棟のソファに座りながら、和泉は携帯を握りしめている。その瞳は赤いままだった。
  • そっと自分の部屋で涙を拭った自分と、彼の差をはかってしまう。意味のないことだ。
  • 俺は彼の隣に腰掛けた。
  • 「……大丈夫か」
  • 和泉は何も言わず、俺の腕にもたれた。
  • 彼の温度と重みを感じながら、俺はじっと動かなかった。
  • 次第に和泉の背が震えだして、俺は小さな肩を抱く。空気を揺らす慟哭は、俺の胸も揺さぶっていた。
  • 「平気でしょ」
  • かすれた和泉の声は必死だった。
  • 「清史郎は見つかるでしょ」
  • 黙ったままうなずいて、俺は和泉の肩を抱き寄せた。口を開いたら嗚咽しそうだった。
  • 堪えるしかない俺の前で、無様に声を湿らせて、和泉が訴える。
  • 「清史郎が死ぬわけない」
  • 「……もちろんだ」
  • 濡れた瞼を、和泉が俺の袖に押しつける。じわりとその熱さが伝わって、俺は手に力を込めた。
  • 華奢な和泉の肩は折れそうだった。
  • 「寝ろよ。明日の朝には、きっと連絡がくる」
  • 「来なかったら……」
  • か細い声を塞ぐように、俺は強く首を振った。
  • 「来るさ」
  • 「…………」
  • 「賢太郎が一緒なんだ。あいつは名犬だ。清史郎に何かあったら、きっとあいつが助けてる。岸に引き上げて……」
  • 濡れたままの大きな瞳で、和泉は俺を見上げた。
  • ねだるように、俺の袖を引いて。
  • 「……続けて」
  • 頬が歪みそうになりながら、精一杯の虚勢で俺は笑う。息を吸い込んで、物語をつづった。
  • 「あいつを岸に引き上げて……、誰かに知らせにいく。そいつは偶然、清史郎の知り合いで。……あいつは知り合いが多いだろ?」
  • 「うん……、うん……」
  • 「そいつが慌てて、清史郎を家に連れ帰ったんだ。暖かいベッドの中で目を覚まして、清史郎はそいつと話し込んでる……」
  • 堪えきれず、呼吸が震えた。
  • 「今もだ……」
  • ぽたぽたと和泉の頬から涙がこぼれ落ちた。
  • 「今も話し込んでる。連絡を忘れて、きっと……」
  • 「ひどい、丸一日も忘れるなんて……」
  • ぎゅうっと携帯を握りしめて、和泉は再び泣きだした。
  • 「……帰ってきたら、ぶつ」
  • 「…………」
  • 「嘘。怒らないから……」
  • 「和泉……」
  • 「……っ、帰ってきて……」
  • 両腕を回して、俺は和泉を抱きしめた。
  • 子供のような大声が、俺の胸の中にしみこんでいく。世界中を震わせる暴力のように、彼の泣き声が響きわたる。
  • 熱くなる瞼を細めながら、俺は抱きしめることしかできなかった。
  • 俺たちの旗が倒れぬよう、支柱を支えるように。
  • 「煉慈……」
  • 嵐の川のせせらぎが聞こえる。
  • 「傍にいて」
  • 最後の歯車が壊れる音が聞こえる。
  • こんな夜に小説家ができることは、下手な嘘をつくことだけだ。
  • 「ああ」
  • 腫れた和泉の瞼から、目をそらして呟いた。
  • 「ここにいるよ」