- マッキーは誠二が好きだ。
- 賢太郎のこともなんだかんだ好きだと思う。彼の性根は末っ子で、甘やかしてくれる年上の傍で、気を抜いているのが楽なんだ。
- だから、何度止めても、牧師舎に行ってしまう。
- 「……おかえり」
- 「ただいまあ。まだ起きてたの。学校あるんだから、寝なきゃだめじゃない」
- 「マッキーだってそうじゃん」
- 「大人の付き合いがあるんだよ」
- 彼は上機嫌に笑って、ふらふらと上着を脱いだ。グラスに水を入れて渡しながら、俺は軽く口を曲げる。
- 「今夜はかなり酔ってんの?」
- 「そうでもない。ほろ酔いくらい」
- 「あんたがほろ酔いなら誠二は……」
- 「あーだめだめ。最近ある程度飲むと水飲み始めるからね。久保谷君が言ってた意味がわかったよ。保身のかたまりって……」
- グラスを受け取って、マッキーはくすくす笑った。
- 「ありがとう」
- 楽しかったんだろう。俺は知ってる。彼が先生になったのは、彼のトラウマを克服するためだ。
- 理想の自分になるために、気を張って教壇に立っている。無意識みたいだったけれど。
- どんな時でも、俺が傍にいるだけで、彼には仕事になってしまうんだ。
- (なんかすげー理不尽だけどなあ……)
- (誠二より賢太郎より、俺の方がしっかりしてると思うし、まともだと思うし、マッキーに優しくしてるし……)
- 年齢だけで線を引かれて、蚊帳の外にされてしまう。同じ不満は幽霊棟のみんなも抱いていると思う。
- 俺たちは俺たちで、彼を助けている気でいるのに。
- 「部屋まで送ってくよ」
- 「えー。いいよー。大丈夫だよ?」
- 「足元ふらふらじゃん。酔って階段から落ちたら笑えないっしょ」
- 「足元しっかりしてるって!」
- 「スキップしてみ」
- 「いいよ。……あれ? スキップってどうやるんだっけ」
- 「ほらなあ」
- 「ええー。今のは酔ってるのと違うよ」
- マッキーは機嫌よく俺の肩を叩いた。なれなれしい仕草に頬が緩む。
- 頼りがいのあるところを見せようと、彼と一緒に旧館の階段を昇った。床がみしみしと音を立てる。旧館は人気がないから、新館よりも冷え込んだ。
- マッキーの足取りはしっかりしていたけれど、四階に着くころには息が切れていた。いい運動だと彼は言う。彼は笑っていた。ずっと。よっぽど楽しい飲み会だったんだろう。
- 「ありがとう。ほらね、コケなかったでしょ」
- 「風呂場で寝んなよ」
- 「今夜はもういいや。もう階段昇りたくないし」
- 「マッキー、不潔ー」
- 「言わないでー。朝早起きする。おやすみ、久保谷君」
- 「うん、おやすみな」
- 立ち話で帰されてしまう。俺だって二十歳だったら一緒に飲んだり出来るのに。
- 絶対、絶対、誠二や賢太郎なんかより、役に立ってるのに……。
- (ドイツじゃ16歳からビール飲めんだぞ、こんにゃろう)
- 「あ。待って」
- ふいに手を握られた。驚いて俺は振り返る。
- くすくすと悪戯っぽく笑いながら、マッキーが俺の手を引く。
- 「あれ返す。あれ。ええと……。ふふ、なんだっけ」
- 「まんが?」
- 「そうそう。入って」
- マッキーは室内に俺を招き寄せた。彼の部屋にちゃんと入るのは久しぶりだ。
- 部屋に転がっているものを眺めて、思わず眉間に皺が寄る。
- 「この空き瓶の量……」
- 「下に持ってくのいつも忘れちゃうんだよね」
- 「そうじゃねえだろ。飲み過ぎだっていってんの」
- 「ああ、怒った」
- 彼は笑い転げて、ベッドに寝転がった。そのまま目を閉じようとするから、俺は慌てて肩を揺さぶる。
- 「マッキー、マッキー。返したい奴ってどこ?」
- 「ああ、あれ」
- やっぱり相当酔っているのかもしれない。寝転がったまま、部屋の隅にある紙袋を指差した。
- 普段からだらしない人ではあるけど、俺たちの前では色々頑張っていたはずだ。それだって言うのに……。
- (全力でだらだらだな、この人……)
- 「あれ、持ってちゃっていいの?」
- 「うん」
- 「面白かった?」
- 「飽きて最後の方読まなかった」
- 「…………」
- 気遣いもゼロになっている。
- 俺はため息をついて、漫画の入った紙袋を持ち上げた。振り返ると、マッキーはすでにベッドで目を閉じている。
- だらしがないけれど、彼はとてものびのびしていた。これが本当の顔なのかもしれない。今夜のことを覚えていたら、明日青ざめて反省するだろう。
- 教師なのに生徒になんて姿を見せたんだろうって。
- (別にいいのになあ)
- 俺はベッドに腰掛けて、マッキーの眼鏡の縁を引っ張った。
- 「マッキー。眼鏡取らないと跡つくよ」
- 「うん。取って」
- 「着替えないとスーツもくしゃくしゃになるし」
- 「アイロンして。……ふふ、僕火傷するじゃん」
- 一人でウケている。
- 俺は苦笑を浮かべて、せめてネクタイを外してあげることにした。襟元を緩めながら、肩を竦めて一人つぶやく。
- 「無理しなきゃいいのに。教師なんて……。あんたが生きやすい場所はもっと一杯あるだろうに」
- 誠二や賢太郎なんかより、もっとマシで優しい人たちがいる世界。
- 楽に呼吸が出来る場所が。
- 「ひいきとか、特別扱いとか、気にしなくていい所がさ……」
- 「だめだよ。君が思い出させたんじゃない」
- 俺はぱちぱちと瞬きした。
- 瞼を開いたマッキーが、笑いながら俺を見上げている。ほどいたネクタイを掴んで、遊び半分に俺の首にかけて。
- 締めた。
- 「特別扱いを始めたら、その子の周りにいる人たち、全員階段から落ちて死ねって思うかもしれないでしょ」
- ぞくりとした。眉を下げて、彼は情けなく笑う。
- 「だから、これでいいの」