• 彼がきれいで優しい人で良かった。
  • 魂の分身のように、その名前を思う傲慢。
  • 「……それでね、子供に会った友達を、茅は俺だと思ってるんだよ」
  • 寝台に寝転びながら、ハルたんは前髪を摘み上げた。やわらかい眼差しだけを俺に向けて、吐息まじりの声で尋ねる。
  • その溜息は彼の憂い。
  • 「瞠は何か知らない? ずっとこのあたりに住んでるんでしょう」
  • 彼がきれいで優しい人で良かった。
  • 「白峰春人って名前の人、何か知らない?」
  • 「いやあ、さすがにわかんねえなあ……」
  • 完璧に秘密を守るため、苦笑を浮かべて首を振った。自分の軽薄さを呪いながら、これでいいのだと頷く。
  • あの日、白峰春人の名を口にして良かった。
  • この人が白峰春人で良かった。
  • 俺の醜い正体が暴かれるよりも、美しい物語がつむがれていく。
  • 「そっか……」
  • ハルたんは目を伏せて、寝返りを打った。彼は案じている。まったくの他人の——唐突に現れた、一方的に自分を慕う友人さえも。
  • わずらわしい振りをしながら、その胸を痛めて。
  • 「会わせてあげたいんだよね……。あんなに会いたがっているんだもの」
  • 彼で良かった。
  • 俺の唯一のいい行いを、神様に恥ずかしくない思い出を、引き継いでくれる人が彼で良かった。
  • 真っ暗な森の中、追いかけられて、恐ろしい目にあったのに。
  • 俺と誠二のせいで弟を失っているのに。
  • 俺と誠二のように、醜く歪んだ人間じゃなくて良かった。
  • 「ハルたんが忘れちゃってるだけなんだよ」
  • 寝台の傍らに座りながら、頬をシーツに乗せた。瞼を閉じて思い描くのは、あの公園の風景だ。
  • あの場所に立つ、幼い白峰春人だ。
  • 「そこまでの事件があったら、さすがに俺も忘れてないよ。家族にも聞いたけど、子供の頃、長野には行ってないって言うし……」
  • 「おばさんたちも忘れちゃったんだよ。俺は不思議じゃないと思うな。ハルたんが茅っペを助けてあげても」
  • 心地よい夢を見るように、俺の口元は自然に笑む。
  • 「だって、ハルたんは優しいもん」
  • 夢物語をつむぐ。身勝手に。
  • 砂の上に描いた、はかない絵だと知っていても。
  • 「……眠くなっちゃった?」
  • 甘い笑みを浮かべて、ハルたんが俺の頭を撫でる。洗礼を受けた日のような、静粛な気持ちで俺は目を閉じている。
  • ふわふわと絵空事の中で、束の間の夢に酔いしれた。
  • 聖者の影に口付けるように。
  • 「……眠くないよ。俺も探してみる。だけど、ホントにハルたんなのかもしれないんだから……」
  • きよらかな白い指先に、目を閉じたまま頬をすりよせた。
  • 「茅っぺに優しくしてあげなよ」
  • 彼の視線が戸惑いに揺れる。呪文を唱える魔術師のように、俺は彼の様子を伺う。
  • この人になりたかった。
  • 「……うん……」
  • 「ハルたんが優しくすれば、きっと茅っぺは喜ぶよ」
  • この人のような、あたたかい手のひらを持ちたかった。
  • 彼の絶望を無視して、彼の悲哀を忘れて、苦い罪悪感を飲み下せば、彼の傍にいられる。
  • 冬の陽射しのような、ぬくもりを体に浴びていられる。
  • 「だってさ、悪いじゃない。本当に助けてあげた人にさ」
  • 眉を下げた苦笑さえ好ましく、激しい敬愛に俺は胸を震わせた。
  • それは慟哭だったのかもしれない。俺はきっと深い地中の底で、身を縮めているべきなんだ。
  • 彼の名前を二度と汚すことがないよう。
  • 息すらも止めて。
  • 「……ハルたん……」
  • 「ん……?」
  • 「俺さ、あんたの名前好きだよ。白峰春人ってきれいな響き」
  • 「あはは。なんだよ、急に」
  • 「本当だよ」
  • 甘えるように、彼の爪先に触れた。
  • 白峰春人。だから、口に出してしまったんだろう。
  • 悪魔を騙したあの夜に。
  • その名前は救いの呪文だと、子供の俺も気づいていたんだ。