• なんで俺はこんな所にいるんだろう。
  • 青空の下のテラスで、にこにことマッキーは微笑んでいる。
  • 「久保谷君、紹介するね。僕の彼女……」
  • 「友人の鳥沢です」
  • つり目の美人が愛想笑いひとつせずに、俺の真向かいにいた。
  • (生ゆっこだ……)
  • 「は、はじめまして。久保谷瞠です」
  • 「こっちは塾講時代の同僚の南。辻村君のファンなんだよ」
  • 「よろしく」
  • 真面目で硬派そうな男が、かすかな微笑を浮かべた。
  • (南さんだ……。この人は前もあったことがある)
  • 気圧される俺の背中でざざーんと潮騒が響いている。
  • 俺はマッキーの実家で、マッキーの友達と対面していた。
  • 「まったく渉君は生徒を家にまで連れてきて。見境がないのよ、また問題が起きたらどうするつもり?」
  • 「大丈夫だよ。もう起きたし……」
  • 「え!?」
  • 「いや! 久保谷君は誠実なお人柄なので、そのあたりは大丈夫です」
  • 結婚相手を紹介するかのような、持ち上げた話しぶりに胃が痛くなる。マッキーが言いかけたように、俺は問題を起こしたほうだ。
  • 彼に怪我をさせて、散々悩ませて、死んだ古川と変わりない。
  • 「久保谷君、南は塾の室長なんだよ。今年の傾向詳しく聞いておくといいよ」
  • 「おまえが教えてやればいいだろ」
  • 「教えるけどさ。一年も離れてたら良くわかんないよ。新ネタちょうだい、今年の新ネタ」
  • 「臨時でアルバイトに来たらな」
  • 南さんという男はかすかに青筋を浮かべた。前に聞いた話だと、塾の室長は忙しく、過労死寸前らしい。
  • ゆっこ——もとい、鳥沢さんは景気よくジョッキを空けていた。女ながらに引き締まった、海風の似合う体をしている。
  • (……この人が元彼女……)
  • 俺の視線に気づいて、彼女は身を乗り出した。
  • 「軽そうなナリをしてるのに無口なのね。人見知りなの?」
  • 「普段はそんなことないんだけど……。久保谷君、緊張してるの?」
  • 「いや! そんなことないっス! 楽しいっス!」
  • 慌てて笑いながら、俺はラムネで乾杯の真似事をした。
  • 二人の男女の様子を盗み見ながら、声をひそめて、マッキーに尋ねる。
  • 「マッキー、俺ここにいていいの?」
  • 「なんで? いいよ?」
  • 「ど……、どうしてマッキーの友達もここに来てるの?」
  • 「ブッキングしちゃったんだよね」
  • 悪びれなく笑って、マッキーはジョッキを飲み干した。一人だけ飲酒していない南が頬杖をついて尋ねる。
  • 「今夜も泊まるのか」
  • 「ううん。今日には帰るよ」
  • 「じゃあ飲むなよ。車だろ」
  • 「運転は神波さんにしてきてもらったんだよ」
  • 「彼は?」
  • 「二階で寝てる」
  • はっと口実を思いついて、俺は席を立ち上がった。同窓会にお邪魔し続けるのはなんとなく気まずい。
  • 「俺、様子見てくるよ」
  • 「大丈夫だよ。母さんが介抱してたし」
  • 「せいちゃん泣いちゃうよ……」
  • 「座って、座って。いつもの久保谷君らしくないなあ。南が怖いのかな?」
  • 「俺よりゆっこちゃんの方が怖いだろう」
  • 「失礼なこと言わないで。——渉君はどう? 君の学校で」
  • 視線を背けながら、鳥沢さんは素っ気無く尋ねた。その尋ね方でわかってしまう。
  • 彼女はたぶん、まだちょっと、マッキーが好きなんだ。
  • 「なんつーか、その、すごくいい先生っスよ。人気あるし、うち若い先生少な……いたっ」
  • 「やだなあ! おだてちゃって!」
  • 照れ笑いを浮かべながら、マッキーがばしんと俺の背を叩く。枝豆を剥きながら南さんが苦笑した。
  • 「トラブルが多いだろう、こいつは」
  • 目を伏せた笑い方と、ぞんざいな呼び方に、気づいてしまった。彼もトラブルに巻き込まれて尚、マッキーを嫌いになれない人だ。
  • 距離が離れてしまったことを、惜しむ響きさえある。
  • (うわ……)
  • 額を抱えて、俺はうつむいた。
  • (……なんだろう、この履歴書を勝手に覗いてしまった感じ……)
  • けらけらと笑いながら、マッキーが俺の肩を抱き寄せた。
  • 「そんなことないよね。久保谷君はいつも、わりかし、僕を頼ってくれるもんね」
  • 「…………」
  • 「えっ……。そうでもなかった……?」
  • 「え!? なんスか!? そうですよ!?」
  • 沈痛な表情のマッキーに、慌てて俺は肯定してみせた。
  • どきどき緊張しながら、鳥沢さんの顔と、南さんの顔を、かわるがわる見つめる。
  • 「あの……。マッキーって二人の前ではどんな感じだった?」
  • 「あほ」
  • 「空気読まない」
  • ほっと俺は息をついた。良かった。俺の知ってるマッキーだ。
  • 先生ではない顔で、マッキーは二人に話しかける。肩を揺らして無邪気に笑う。
  • 机の一番上の引き出しを覗いているみたいだ。
  • 俺の先生が、先生じゃなかった頃の過去が、ここにある。
  • 俺が知っているわけでもないのに、ラムネの味のように懐かしい。
  • 「こんなお酒飲む席に、子供を連れて来て」
  • あきれたように、鳥沢さんが息を吐く。
  • マッキーは頬をゆるめて、照れ臭そうに髪を掻き上げた。
  • 「だって、見せびらかしたかったんだもん」
  • 「……私を?」
  • 「ううん」
  • ちらりと俺を見やって、マッキーは満足そうに笑った。
  • 「僕のことを好きな、僕の生徒」
  • じわ、と頬が熱くなった。
  • 一生懸命作った帆船模型を自慢する茅サンのように、マッキーは機嫌良く笑っている。
  • 嬉しかった。
  • 彼が人に誇れるものなのだと、そう思うと、たまらなく嬉しい。
  • そわそわする俺の横で、眉をひそめて、南さんがぽつりと呟く。
  • 「……そこで、ゆっこちゃんだと答えれば、よりが戻ったのかもしれないのに」
  • はっとマッキーが青ざめる。
  • 間髪を入れずにマッキーの眼鏡をもぎ取って、鳥沢さんは砂浜へと投げつけた。