- 初対面の時から、嫌な男だと思った。
- あの頃はまだマトモな髪型をしていた。襟足にかかる髪は、丁度ハイネックの境目にあった。
- 異様な背の高さ以外は、普通の人たちに紛れていたけれど、掴みどころのない空気は同じだった。
- 「くっつかないで、咲」
- 花が出かけた後で、僕は眞の膝に頭を乗せた。甘えたかったわけじゃない。
- 彼がどんな人間か試したかっただけ。
- 「セックスはするのに」
- 「男とはしません。君がどんなにかわいくても」
- 「花に似ていても?」
- 「似ていませんよ、彼女の方がきれいだ」
- 眞は笑って、僕の髪を撫でた。お気に入りの高価なお皿に触るみたいに。
- 不満げに眉を寄せる僕を見て、彼はくすくす笑っていた。
- 「女の方が男より美しい。それは仕方がないことです」
- 眞はみじろいで、僕の頭をどかした。彼の隣で仰向けになりながら、眞の首筋を僕は見上げていた。
- 「遊んで」
- 「嫌です」
- 「……なんで」
- 「君は私が嫌いでしょう」
- 微笑みながら言うから、一瞬聞き間違えたのかと思った。
- 聞き間違えじゃないと理解した時には、彼は異国の奇術師に見えていた。昔童話で見た笛を吹く男。
- 恩恵をくれるけれど、約束を破ると、無頓着に町を滅ぼす男。
- 「無理して懐かなくてもいいですよ。私も子供は好きじゃないし」
- 「花が好きなの」
- 「広い意味ではね」
- 「狭い意味にすると?」
- 「好奇かな」
- 「それは何?」
- 「火傷のもと」
- パウダーシュガーみたいに眞は甘く囁いた。
- 離れていく眞の指先を僕は追いかけた。魚のようにぱくりと咥える。
- 彼の反応を見たかった。
- 驚くのか、眉を顰めるのか、笑ったままでいるのか。
- 彼は僕が嫌いなのか。甘やかしてくれるのか。
- 「噛むんですか?」
- やんわりと眞は尋ねた。僕は口を開かない。
- 笑うような吐息が落ちた。
- 眞はくるりと指を反転させて、僕の口に指を押し込んだ。予想外の行動に目を丸くしているうちに、彼の指の腹が僕の上顎をなぞる。
- ぞくぞくした。ぞくぞくする場所だと初めて知った。
- 「動物に噛まれた時はね、引っ張っちゃあいけないんです。こうして押し込む」
- 眞の手を両手で掴んで、僕はぐっと目を閉じた。
- がちっと歯を立てる。痛いはずなのに、別の生き物みたいに、眞の指はぬるぬる動いた。
- 「そうすると、息苦しくなって口を開ける。——いきますよ」
- 「……っ……」
- 突然、喉奥を突かれて、うっと吐き気がこみあげた。僕は慌てて手を離す。口も開いた。
- 引き抜かれた眞の指先は、血と唾液で濡れていた。
- にっこりと笑って、眞は僕の頭を撫でた。
- 「あーあ。泣いちゃって」
- えづいて涙目になった僕をひやかす言葉だった。かっと血が頭に上って、彼を睨みつけた。
- この瞬間から、ずっと眞が嫌い。
- 「……ぅ……」
- だけど、僕はまだ、子供だったから。
- 本当に彼が怖くなって、泣いてしまった。
- 「よしよし、もう大丈夫ですよ」
- 僕が噛んだ指先で、眞が僕の頭を撫でる。
- 泣いているうちに、泣くのが気持ち良くなって、僕は体を丸めて真剣に泣いた。
- 嘘泣きじゃない。涙もちゃんと出た。
- 泣いてるうちに花が帰ってきて、眞を怒ればいいのに。嫌いになっちゃえばいいのに。
- そんな打算もあったけれども。
- 「かわいい子」
- 騙されないよ。
- パウダーシュガーみたいな甘い響き。
- 「泣かないで、咲」
- 一度濡れたら汚らしく、べたべたするって知ってるよ。
- 甘いものはべたべたするんだ。
- 蟻の行列を招いてしまう。
- あの日の笑顔を見た時から、僕はずっと眞が嫌い。