- 日の沈みかけた大地の上。
- アスファルトはどこまでも続いている。
- 「疲れた」
- わかりきっていることを槙原は口にした。
- 「俺もだ」
- 「なんでガソリン入れなかったの」
- 「ガス欠じゃない。エンジントラブルだ」
- 「どうしてエンジンがトラブりきるまでトラブルに気づかなかったの」
- 「俺に言うなよ」
- 「運転してたのは君でしょ」
- 「同じ建物に人が監禁されてることにどうして気づかなかった?」
- 「ははあ。そういうこと言っちゃう」
- 「俺が運転手だったことに感謝しろよ。おまえだったらエンジンが止まってもアクセルを三ヶ月は踏み続けていただろうからな」
- どうしてか槙原と一緒に向かった旅先で、車がエンジントラブルを起こした。畑しかないだだっぴろい道沿いで。
- 車も通りかからない。車内で通りすがる車を待って一時間。人を捜しに歩き始めて一時間。
- その途中で果たせると思った目的。飲料水を手に入れること。携帯の電波が入る場所に出ること。ここがどこなのか所在地をはっきりさせること。
- 何一つ果たせてなかった。
- 「疲れた」
- 「うるさい」
- 「津久居君、思うんだけど」
- 「ああ」
- 「二人で人を捜すことないよね?」
- 槙原が目を光らせて、俺は鋭くにらみつけた。見えない火花が散る。
- 「俺が車に戻ろう」
- 「いやいや、僕が戻るよ。茅君の車目立つし、車上荒らしとか心配だから」
- 「おまえが戻っても車を動かせないだろ」
- 「わかるよ。PとかRとかD以外は」
- 「問題外だ。よし、人を捜してこい」
- 「ちょっと待ってよ……!」
- 身を翻した俺に、ひったくりのように槙原は飛びついた。
- 「ずるいよ、津久居君!」
- 「先に戦線離脱しようとしたのはおまえだ」
- 「僕が先でしょ!? 僕に譲ってよ!」
- 「俺はあの車を管理する義務がある」
- 「ああ、もういい。わかった。じゃあ人を見つけても、君の所に戻ってこないから」
- 「いい性格だな……」
- 「どっちがだよ!」
- ため息をついて、俺は煙草に火をつけた。ライターの火を移そうとした瞬間、槙原が火を吹き消してくる。
- 額に青筋が浮かんだ。
- 「どういう了見だ」
- 「路上喫煙とか最低」
- 「アル中に言われたくねえよ」
- 「はあ!? 飲んでないでしょ! そう言うなら酒瓶持ってこいつうの」
- 「高校時代の教師がアル中だったら、俺はショックだぜ」
- 「性格の悪い記事を書く人が実の兄だったら、僕もショックのあまり監禁しちゃうかもね」
- 「むかつく……」
- 「御影君通りかからないかな……」
- 「人の弟をなんだと思ってるんだ」
- 「もうだめだ。足が痛い。勝手に休むから好きにしていいよ」
- 日暮れ前の道ばたに、槙原はしゃがみ込んだ。ひらりと手を振られて、いよいよ頭に血がのぼる。
- 「……おまえ、結構わがままだな!」
- 「そうだよ?」
- 「これだから末っ子は……」
- 「御影君と茅君と辻村君に伝えておきます」
- 「煉慈はカウント外だろ」
- 「ねー。あの子はまんま一人っ子って感じ……」
- 「くだらない話はどうでもいいんだ!」
- 「君だって乗ってきたじゃん!」
- 槙原はため息をついて、体育座りの膝に額を乗せた。生あくびを噛み殺している。
- 「もう眠くなってきたから僕はだめだ……」
- 「人が運転中に寝っぱなしだった癖にか」
- 槙原は適当に頷きをかえして、迷わずに目を閉じた。俺は眉をつり上げて、槙原の腕を引っ張る。
- 「こんなところに座るな。体を冷やすだろ」
- 「大丈夫。日向だからあったかい」
- 「今まさに沈んでるだろ!」
- 「だから、もう歩き疲れたって……」
- なんでこんな非常識な男に、鬱陶しそうにされなきゃいけないんだろう。
- 「大丈夫だよ。留学した時も酔って路上で寝たけど無事だったもん」
- 「ロスで?」
- 「財布はとられたけどね」
- 「まったく無事じゃないよな、それ」
- 何度目かのため息をついて、煙草をくわえなおす。座り込んだ槙原を一瞥して、俺は歩きだした。
- 「行くからな」
- 清史郎なら慌ててついてくるはずだった。
- 幽霊棟の学生たちは、こんなごね方をしないだろう。ごねている自覚がないのか。なにか機嫌を損ねたのか。
- 3分ほど振り返らずに先を歩いた。夕陽はもう半分沈んでいる。
- この地域は、夜は冷え込むはずだ。
- 「くそ……」
- 舌打ちを堪えて、俺は振り返った。槙原の背はぺたりと丸まって完全に眠っていた。
- 俺はかつかつと早足で戻り、尻を蹴りとばして人命救助をした。
- 「痛……っ」
- 「車の鍵だ。戻っていていい」
- 「いいの?」
- 槙原は目を丸くした。俺はぎこちなく視線を逸らす。柄にないことをしてしまった上、彼の感謝の言葉を聞くのは、なおさら照れくさい。
- 「ああ。車の中で休んで……」
- 「やったー。ラッキー」
- 「もう少し感謝しろよ……!」
- 「だって足痛いんだもん。旅行楽しみでね、新しい靴買ったらね、靴擦れしちゃったみたい」
- 今度は俺が目を丸くする番だった。楽しみだったのか。
- 「そうなのか」
- 「うん。靴擦れ見る?」
- 「見ない。そういうことは早く報告しろよ。いい大人なんだから」
- 「津久居君に言ったら、傷口踏まれると思って……」
- 「おまえの中で俺はどんな男なんだよ!」
- 頬杖をつきながら、槙原が俺を見上げる。
- 子供たちの前より幼く、わがままな視線。
- 「わかってるでしょ。言わせたいの」
- 「…………」
- 俺は息を詰めた。
- 見たこともない壁に書かれた文字が脳裏をよぎる。
- 太陽は山間に没して、紫色の闇が大地を染めた。槙原が笑いながら、腰を上げる。
- 「ゆっくり歩いて。そしたら一緒に行けるから」
- 「車に戻ってろよ」
- 「一人は寂しいじゃん」
- 言葉に迷っている間に、眩しいライトが近づいてきた。小型のトラックだ。
- どこにそんな元気があったのか、槙原が車道に飛び出して、大きく手足を振る。
- 「車だ! 止まって! 止まってくださいマジで!」
- 「まずい、あの車カーブする気だぞ!」
- 「見つけてよ! もっと前方に注意して! 津久居君、なんか光るもの!」
- 「携帯だ、携帯を振れ!」
- 「あははは!」
- 「なんだよ!?」
- 「津久居君が必死に携帯振っててウケる」
- 「あのな……」
- 「ごめん、ごめん。だってさ」
- 「いい加減にしろよ。この野郎。おまえみたいな奴が教職者だなんて、日本はどうかしてるぜ」
- 「君みたいな男だって記者で父兄だろ」
- 「おまえが……!」
- 「君が……!」
- 槙原に掴みかかっているうちに、トラックは遠ざかっていった。