- 金曜日の新宿で飲み屋は軒並み混みあっていた。
- 学生たちのたまり場のような居酒屋しか入れなかったのは仕方がない。俺、石野、槙原、神波、煉慈の叔父というよくわからないメンツだったのもよしとしよう。
- だが、これだけは許せなかった。
- 「ロシアンルーレットシュークリームくださーい」
- 「おまえ、いくつになったんだよ!」
- 槙原が注文した安っぽいパーティフードは、シュークリームの中の一つにからしが入っているという代物だった。はっきりいって悪ノリした学生くらいしか頼まないようなメニューだ。
- けろりとした顔で槙原は笑っていた。
- 「いいじゃん、面白そうで。石野さんが参った顔するのとか見たいし」
- 「こんな居酒屋にいる石野自体、俺でも始めて見るのに強欲な奴だな……」
- 「私はご遠慮させて頂きますよ」
- ウーロン茶を飲みながら石野は微笑んだ。彼は飲めないわけではないが、安いワインを飲むくらいならウーロン茶の方がましというところらしい。
- 予想通りの返答に、槙原は食い下がった。
- 「えー。石野さんも食べれるようにと思って、たこ焼きじゃなくてシュークリームにしたのに」
- 「それはそれは……」
- 「シュークリームは野菜でしょう? 世界を野菜か野菜じゃないわけるとしたら、野菜ですよね」
- 「野菜だろうな」
- 煙草の煙をふかしながら、煉慈の叔父はうなずいていた。一杯目のビールはすでに飲み干していた。
- 「お待たせいたしました。ロシアンルーレットシュークリームでーす」
- 「ほら来た、待ってました! みんな取ってください、神波さんも」
- 「やらないよ、くだらない……」
- 嘲笑まじりの神波に、槙原はきりっと真顔になった。
- 「天国のお母さんが、男らしい神波さん見たいって」
- 「飲み会のネタに人のトラウマ踏んづけないでくれる!?」
- 青ざめた神波が叫んだ。槙原のペースに押されて、ひとり、またひとりとシュークリームを手に取っていく。古川の遺書が……と言われるのが怖くて、俺も渋々従った。
- 「じゃあ、いきますよ。せーので……!」
- 五人の野郎共が同時にシュークリームを口に運んだ。
- びくびくしていたが、そこは五分の一の確率だ。俺の口の中には甘ったるいカスタードの味が安心感とともに広がる。
- さて、ハズレをひいた不幸な奴は誰だ……と視線をめぐらせると、石野が笑顔のまま固まっていた。
- 「……大丈夫か?」
- 「…………」
- 「ハズレちゃったか?」
- 石野は微笑みながら、片手で口元を押さえた。口元が隠れると良くわかる。
- 目が笑っていないことに。
- 「少々失礼いたします」
- 片手をかざして断りを入れてから、石野は席を立った。俺はごくりと唾を飲み込む。小走りにトイレに向かう石野を初めて見た。
- 「あははは! ハズレ石野さんだ! 走ってる、超ウケル!」
- 槙原は爆笑している。
- 「ふふ……。ざまあみろ……」
- 神波はせせら笑っていた。
- 「なんだよー。俺リアクション準備しちまったぜ」
- 辻村の叔父は何故か落胆していた。
- 数分後、石野は戻ってきた。わずかに涙目だったこと以外は通常通りに思えたが、大量のからしは彼の何かを変えてしまったらしい。
- 「すいません。ロシアンルーレットシュークリーム追加で」
- 「は!?」
- 「何考えてんの!?」
- 「いえーい! 石野さんノリいい、いえーい!」
- 槙原のハイタッチに応じながら、石野は完璧な上品さを保って席についた。ウーロン茶を一息に飲み干して、俺たちの顔を見渡す。
- 執拗で執念深い刑事のように。
- 「もう一度くらい、楽しんだっていいでしょう」
- 「おまえがまた引くことになるかもしれないんだぞ……」
- 「俺は充分楽しませて貰ったよ。みっともなくトイレに駆け込む姿をね」
- 頬杖を付きながら、止せばいいのに、神波が皮肉を伝える。
- 石野は動じることもなく、小首を傾げて切り返した。
- 「セクシーでしたか?」
- 「………は?」
- 「私を堪能してくださったんでしょう」
- 「…………。何この人、気持ち悪い……」
- 「だから言ってるだろう。あまり怒らせると薮蛇になるぞ……」
- 怯える神波に俺は忠告を囁いた。
- 追加した飲み物と一緒に、再び例のロシアンなんとかが運ばれてきた。今度は誰もが真剣に、かつ手早くシュークリームを選んだ。
- タイミングが遅れて、最後のシュークリームを煉慈の叔父が手に取る。親の仇のように菓子を睨んで、彼は一言言った。
- 「あ、こりゃだめだ」
- 「なんでです?」
- 「からしがはみ出してる。正体見えたりだ」
- 彼は肩を竦めて、神波にそれを手渡した。代わりに、神波のてから奪ったシュークリームを口に放り込む。
- 「ちょっと、どういうつもり」
- 「おまえの分だ、食え」
- 「いらないよ、こんなもの。だいたい吾朗さんがひいた……」
- 「甥っ子だろうが! 黙って食え!」
- 神波が限界まで目を見開き、槙原が二人を指差して爆笑した。
- 「ぎゃはは! 辻村君と同じ扱いされてる!」
- 槙原の一言が火に油を注いだ。
- 神波はハズレのシュークリームを皿におくと、テーブルに万札を叩きつけるようにして、立ち上がった。
- 「帰るよ」
- 俺たち一同は、唖然とした。
- 「いや、構わないが……。ここで帰ったら『ロシアンルーレットシュークリームのハズレを食べさせられそうになったのが嫌で帰った』って過去が残るんだぞ……?」
- 「小学生のお誕生会でやったとしても、消したい過去ですよ……?」
- 「恥ずかしい奴だな、誠二……」
- 「面白いから久保谷君に連絡しておこう。いじけて帰っちゃったんで、慰めてあげてっつって」
- けらけら笑いながら、槙原が取り出した携帯を、戻ってきた神波が取り上げた。
- 俺たちを見下ろしながら、怒りをこめた主張をする。
- 「だって、吾朗さんが悪いんでしょう! ハズレをひいたのは彼なのに、俺に押し付けて……」
- 「うんうん、そうだな。誠二、俺が悪かったな」
- 「落ち着いて座ってください。学級会のような雰囲気に赤面してしまいそうです」
- 「……なんだよ、この空気! まるで俺が悪いみたいな……」
- 「言ってない、言ってない」
- 「大丈夫、大丈夫」
- 「……むかつく……」
- 「じゃあ、食うぜ」
- 「はーい、いっちゃってくださーい」
- 「うわ、辛……!」
- 「辛いでしょう。これは健康に悪いですよ」
- 「……最初から貴方が食べればよかったんじゃない……」
- 「そうだな、そうだな。……うわ、辛……っ じわじわ辛!」
- 「あはは! 吾朗さん、出さないで!」
- 「……むかつく……」
- 「辛……っ」