- 何度か来たことのある駅前の道を瞠と歩いていた。
- メールの着信音が鳴って、画面を確認する。
- 「お金払うから、ケンタッキー買って来いだって」
- 「手抜きだなあ。寒ィんだから鍋でも作ってくれよ」
- マフラーに鼻先を埋めながら、瞠は不満げな顔をする。携帯を鞄にしまって、俺は肩を揺らした。
- 「俺はケンタッキー好きだよ」
- 「俺も嫌いじゃないッスけど……」
- 「じゃあいいじゃない。何個入りがいいかな。賢太郎どのくらい食べると思う?」
- 肩に担ぎなおした鞄は、大きくて重かった。
- 今日は瞠と賢太郎の住む町に来た。
- 瞠とおしゃべりをしながら、のんびり電車を乗り継いで、夕方までは都心で楽しんだ。
- 俺たちは歩き疲れていたけれど、この休日に満足していた。後はホテル代わりの賢太郎の家に行っておしまい。
- 本当は瞠と実家に泊まろうと思っていた。
- 「俺の家に泊まる? 都心からは離れてるから、少し疲れるかもしれないけど」
- 瞠は一瞬、ひるんだ瞳をした。すぐに屈託のない笑顔に、その色を隠してしまう。
- 「いいんスか? でもハルたんちに悪いなあ」
- 遠慮しなくていいよと言いかけて止めた。あ、と声に出しかけて口を噤む。
- 俺の家の仏間には、ともの仏壇がある。
- 幼いまま天国に行った弟の遺影も。
- ーーだから、賢太郎の家に泊めて貰うことにした。
- 「会うの久しぶりだな。ちょっと楽しみ」
- 「一ヶ月前くらいに幽霊棟に来たじゃん」
- 「一ヶ月って久しぶりじゃない」
- 「そうかもしんねえけど……」
- 一ヶ月を久しぶりって言う距離なんだな、と瞠は呟いた。
- 「あいつ、結局ただの父兄じゃん。俺は後三ヶ月顔見なくても、久しぶりって気はしねえな」
- 「毎日顔あわせていたのに?」
- 瞠は頷いた。そういうところが瞠はドライだ。
- 関心のある人間と、ない人間の差が激しい。
- 俺はたぶん、特別な人間の方に入れて貰っているけれど。
- 「あ。でも、ちょっとは寂しいかな」
- 答えをすり合わせるように、瞠は頬をゆるめた。ドライだな、と思っていたことが俺の顔に出たんだろう。
- マフラーを巻き直しながら俺は笑った。瞠のこういう、いじらしくて、ずるいところが好きだ。
- 愛想笑いで、俺に満点を貰おうとしている。
- そして、たぶん、瞠は自分のごまかしに、俺が気づいていないと思っている。
- 「ケンタッキーあったよ、ハルたん。あのビルの一階」
- 「おお。結構混んでるね」
- 「パーティバーレルにしちゃおうぜ。どうせ賢太郎が金払うんだろ」
- 「俺は少し出すよ。記者なんてそんな儲かる仕事じゃないだろうし」
- ケンタッキーに向かいながら手袋を脱ぐ。瞠が黙り込む前に、俺は笑った。
- 「瞠はお小遣い少ないからいいよ」
- 「いやいや、大丈夫……」
- 「その代わり、荷物持って。パーティバーレル重そう」
- 彼が気を使わずにすむように、俺はにやりと口端を上げた。
- 白い息をくもらせながら、眉を下げて瞠は笑う。夜の町に置き去りになりそうな彼の腕を引いて、俺は店内にはいった。
- 行列に並びながら、俺たちはくだらない話をまだ続けた。心なし、先ほどより口数が少ない。
- 瞠は賢太郎があまり好きじゃない。だからなのかな、と俺は横顔を伺う。
- だとしたら、無理な提案をしてしまった。俺は賢太郎に会いたかったから、気遣いを忘れてしまったのかもしれない。
- 「今何時?」
- 「9時半くらい」
- 「この店、何時までやってんの?」
- 「ええと、10時だって。良かった、ぎりぎりだったね」
- 笑いかけると、瞠は沈黙した。何か考え込んでいるように。
- 「あ、そうッスね」
- 思い出したように、遅れて答える。疲れているんだろうか。俺と賢太郎と三人で過ごす夜は気が重いのか。
- 彼も俺と同じくらい楽しんでくれるといいのだけれど。
- 「前に来たときはね、鍋してくれたんだよ。辛いやつ」
- カウンターから人がひいて次の番になった。ぽんぽんと瞠の手を叩きながら「そんなに悪い人じゃないよ」と遠回しに伝えているつもりだった。
- 「ラーメン入れて、食べた。おいしかったよ、わりと」
- 「へえ……」
- 「今夜、どうやって寝るのかな。俺たちはこたつで雑魚寝かもね。こたつ買ったんだって、聞いた?」
- 「——お次のお客様、こちらへどうぞ」
- 瞠のテンションを上げられないまま、カウンターに呼ばれた。
- ため息を隠しながらメニューを覗きこむ。せめて、カーネルサンダースが苦心して生み出したこのチキンが、瞠の胃袋を喜ばせてくれればいい。
- 「パーティバーレル……」
- 「コーヒー二つ」
- 俺の言葉を遮るように、瞠は身を乗り出した。
- 緊張したみたいな横顔を、目を丸くして俺は見つめる。
- 「あと、パーティバーレル持ち帰りで」
- 「かしこまりました。それではお会計……」
- 精算をしながら、俺たちは商品が出てくるのを黙って待った。
- 財布を開きながら、ちらりと彼を見やって尋ねる。
- 「コーヒー飲みたかったの?」
- 「俺が奢るから、店で飲んでいこうよ」
- じっとメニューを見つめたまま、びっくりするくらい、強く瞠が訴える。
- 「ハルたん、疲れただろ。少し休んでからいこうよ」
- 「歩きながら飲んでも平気だけど……」
- 「夜まで遊んでから、賢太郎んち泊まろうって言ったじゃんか」
- 美味しそうな匂いをさせて、バケツに入ったチキンがカウンターに運ばれてくる。
- そして、湯気を立てた、熱いコーヒーも二つ。
- 「まだ、夜は終わってないだろ」
- 視線を合わせない瞠は、まだ遊んでとねだる子供の顔をしていた。
- ぱちぱち瞬きをして、俺は思わず笑いだしていた。くすくすと肩を揺らしていると、瞠の耳があっという間に赤くなる。
- 「いいよ」
- トレイを持ち上げて、俺は躾られたウェイターのように、気取って笑った。
- いじらしくて、ずるいところが好き。
- 彼のわがままが好き。
- とても、人間らしくて。
- 「220円で独占させてあげる」