- あれは中学の頃だったと思う。
- 誠二は安心できるくらい満足できるくらい、俺のことを騙せていたから、俺に怖い顔なんて一度もしなかった。
- 俺も疑いながら不安になりながら、誠二以外の誰かなんて考えつかなかったから、彼の表情だけを追いかけていればよかった。
- 「誠二の子供の頃って、どんなだった?」
- そう尋ねたのは清史郎だ。仲良くなり始めた頃で、誠二を紹介すると、俺よりも好きなんじゃないかって言うくらい、清史郎は誠二に懐いた。
- 俺たちがたいらげたホットケーキの皿を拭きながら、誠二も笑っていた。
- 「冬でも半袖しか着ない、鼻水たらしたわんぱく坊主だった」
- 「ホントに!?」
- 「うん」
- 「あはは! 嘘だ、顔が笑ってんもん!」
- 清史郎は誠二を指差して笑った。俺は少し聞いたことがあった。
- 大人っぽくて、思いやりがあって、しっかりした子供だったって。
- きっと、今の俺なんかよりも、ずっと出来た子供だったんだろう。子供の頃の誠二を思い浮かべて、俺は会ったこともない子供にさえ憧れた。
- 「子供の頃から、せいちゃんって呼ばれてた?」
- 清史郎の質問に俺は顔を上げた。俺が彼を知った頃から、彼は子供たちにはそう呼ばれていた。
- 「そうだね。後は誠二君とか、普通に」
- 「変なあだなつけられたことある? 俺は苗字が変わってから、みかんって呼ばれた。前はつくつくほうし」
- 「つくつくほうし? なんで?」
- 「前は津久居清史郎だったんだ」
- 「ああ、清史郎君、ご両親が離婚してるんだったね」
- 誠二は笑った後、少し目を伏せた。
- 「俺こそ妙なあだ名があった方が良かったのに。神波も誠二も呼びにくそうな人が多いから」
- 誠二の呟きに俺はどきりとした。何も知らずに、清史郎は身を乗り出す。
- 「どうして」
- 「死んだ人間の名前だからだよ」
- 「そんなの、みんな死んでるよ。御影って奴も清史郎って奴もたくさん死んでると思うな」
- 「瞠って名前だった人はいないかもね。珍しい名前だから」
- 話題がいきなり振られて、俺はとっさに何も言えなかった。そうだなあなんて言って、視線をテーブルにさまよわせる。
- 「そこまで珍しいって程でもないと思うけど」
- 「わざと付けたんだよ、きっと。将来自分の子供だってすぐにわかるようにさ」
- 「そうかな?」
- 「違うかな」
- 「だったら、漢字が変わってる名前じゃなくて、響きが変な名前にしないかな。みらくるとか」
- 「ミックスジュースとか!」
- 「あはは。俺は好きだけどね、瞠って名前」
- 何気ない誠二の呟きに、息が止まる思いがした。俺も自分の名前が好きだからだ。
- わんぱくな神波誠二はどこにもいない。
- 優しい大人たちが知っていた、大人びてしっかりしていた少年も、本当の神波誠二じゃないだろう。
- それが最近わかっていた。誠二は長い間苦しめられていた。
- 悲しいことに、今もまだなお。
- 「ねえ、瞠くん。子供の頃の俺に会ったらどうする?」
- 冗談交じりの誠二の問いに、俺も合わせて冗句で答えた。
- 「鼻水拭いてやるよ。垂らしてるんだろ」
- 「もっと気の聞いたことを言ってよ」
- 肩を竦めながら誠二が笑う。あの時、素直に言えなかった。
- 清史郎もいたし、彼の言葉を失わせることだと、なんとなくわかっていたからだ。
- 伝えていたら、どうなっていただろう?
- (俺の名前をあげるよ、せいちゃん)
- (一つしかない俺の持ち物を、あんたに)
- もしも、奇跡が起きたのなら。
- 小さな神波誠二は、得体の知らない中学生が届けた、その贈り物を喜んでくれただろうか。