August 18th is
August 18th is
真夏の原付はすさまじく暑かった。
スピードも出せないので、爽快感もあまりなく、アスファルトの熱ばかりが下から照りかえしてくる。
大声で白峰が叫んだ。
「どこ行きたい? 俺はもう、プールとかでもいい感じ」
「水着持ってねえよ」
「取りに帰ればいいじゃん。学校のプールとかなら、下着でもさ」
「あそこは汚いから嫌だ」
「川とかはー?」
「とりあえず、水遊びしたいんだな」
「なんでもいい。もう、涼しければ。――あと汗流したい。べったべただよ。汗臭いでしょ」
俺たちはタオルを買って、川に向かった。先程吊り橋から見降ろした川の下流だ。
木陰は涼しく、蝉の鳴き声がうるさかった。暑すぎるせいか、俺たちの他に釣り人もいない。
シャツを脱いで裾をめくりあげると、白峰は待ちきれなかったように、頭から水をかぶった。
「生き返る……」
今日は変な日だった。
山に登って、牧師舎に行って、今は川にいる。奇妙なたらいまわしだ。
ざぶざぶと川に入っていくうちに、服が濡れることはどうでもよくなってきた。明日も夏休みだ。
飛沫に服を濡らしながら、涼を求めて、深みに向かっていく。
「足元、気をつけろよ。尖った石を踏むと切るからな」
「どう見分ければいいの?」
「そっと踏むんだ」
「難しい……」
慎重に一歩を踏み出した白峰が、片足立ちの間にバランスを崩した。しがみつかれて、慌てて腕を支える。
「わっ……」
「危ない!」
体勢を立て直したと思った瞬間、足が滑って横転した。
びしょ濡れになって、頭から水をかぶる。下着まで濡らしながら、どちらも目くじらを立てずに笑った。
暑い日だから、ちょうど良かった。
「気持ちいい」
「もういい、泳ごう」
息を吸い込んで、冷たく気持ちのいい、水と戯れる。
晴れた日が続いていたせいか、川に濁りはなく、どこまでも透明に光っていた。
川にもぐって、魚を追いかけた。白峰はとろかった。水面下で魚影を指さしても、なかなか見つけられずにいる。
「魚なんかいないよ」
「いるって。目ェ開けてないだろ、ちゃんと」
木々の影が水面に落ちて、きらきらと不思議な模様を作っていた。
白峰は首の後ろが真っ赤に焼けていた。さっきまで着ていたTシャツの形だ。
「袖も焼けてる。土方焼けっていうんだぜ」
「土方? ああ、大工さん」
自分の腕を捩じって、白峰は日焼け跡を見たがった。
そう言えば子供の頃は、戦傷を自慢しあうように、夏休み明けに日焼けの跡を見せあった。
「どこについてる?」
「ここ。こういう感じに……」
「あはは、ホントだ。格好悪い」
そう言いながら、白峰は嬉しそうだった。
「辻村も焼けてる。前からだっけ?」
「今日、山登りしたんだよ」
「こんな暑い日に? 一人で行ったの?」
「茅と。暑くて死ぬかと思った」
「ああ! 橋から落ちかけたとかって……」
散々だと思った出来事も、涼しさの中では笑って話せた。本当はきっと、そんなに悪くないハイキングだったのだ。
もっと景色を楽しめば良かった。
ひとしきり遊んで、流された俺たちは、川の中を歩いて上流に戻っていく。
白峰を横目見て、俺は尋ねた。
「今日、何の日か知ってるか」
川の流れを見下ろしながら、白峰がひっそりと笑う。
「知ってるよ」
「おめでとうとか言えよ」
白峰には文句がつけやすかった。口元をゆるめて彼が言う。
「抜け駆けになっちゃうから。……でも、そうだね。おめでとう」
「薄情な奴らだ。他の奴の時に、あれだけ料理を振る舞ったのに、何にもなしかよ」
白峰はくすくすと笑った。白い陽射しが眩しく、目を細めさせる。
「茅の誕生日の時、何してやった?」
水面の下の裸足の足が、ゆらゆらと透き通って揺れる。
「優しくした」
すましたように、白峰が答える。流れが強くなって、足を踏みしめて、歩みを止めた。
白峰を見つめる。白い彼の輪郭の上にも、網のような枝葉の影が落ちていた。
「俺にもしてるか?」
蝉の声の下で、白峰が微笑む。
夏らしい景色だった。
「気づかないの?」
気を良くして、俺は手を差し伸べた。下っている時に、白峰が足を滑らせて、流された個所だったから。
この川の上流の渓谷で、茅が俺の手を掴んで引き上げた。
同じように今、冷たい白峰の手を引き上げる。
帰る間際にようやく、白峰は魚を見ることができた。
幽霊棟に戻ると、全員、右腕に湿布をしていた。
ペンキ職人のように、彼らはクリームだらけだった。テーブルの上のそれを見上げて、俺は言葉を失う。
7段に積み上げられた、バースデーケーキがあった。
「煉慈、驚いた? 驚いた!?」
小麦粉と生クリームに一番汚れていた清史郎が、おかまいなしに俺に飛びついた。
俺はまだ、ぽかんとケーキを見上げていた。
右腕を揉みながら、久保谷が苦笑する。
「清ちゃんがさー。17歳だから7段って言ってきかなくてさあ。最初は17段プランだったんスよ。正気じゃねえっしょ?」
和泉も右腕を揉んでいた。
「一生分のクリームをかき混ぜた」
茅も揉んでいた。
「クリームはまだいい。小麦粉はしんどかった。久しぶりに筋肉痛になりそうだ」
俺は開口一番、何というか迷って、こう言った。
「掻き混ぜ器があったのに……」
「ええ!?」
「どこに!?」
「ほらあ! だからレンレンに聞こうって言ったじゃん」
悲鳴を上げる友人たちに、俺は笑い出した。
「馬鹿じゃないのか、おまえら。こんなの誰が食うんだよ」
「煉慈だよ! 全部食ったっていいぜ。ちょっとは欲しいけど」
「あはは! 糖尿病にして殺す気かよ」
「スポンジ、全部、味違うから。上からチョコと、抹茶と、マーブルと、紅茶入りと……」
「チョコチップもやったけど、チョコだけ沈んじゃった」
「コーヒーとココアとチョコは、最後に見わけがつかなくなった」
「それで神波のオーブン借りに行ったのか」
「そうそう。土台の方の奴をね。牧師舎のオーブンでかいからさ」
成果を褒めて欲しそうに、矢継ぎ早に彼らはお喋りする。涙が出るほど笑いながら、俺は思った。
ああ、今、こいつらはあの日の俺だ。
電話口で、機関銃のように、喋ろうとした自分。
その興奮と歓喜を、俺に共有して欲しいんだ。もっと、もっと、大声で叫んで、盛り上がりたいんだ。
あふれだす熱気を留めずに、いくつもの声で、上昇気流に乗せる。
入道雲のように膨れ上がって、胸を逸らしていたい。
その一部に、あなたも混ざって欲しい。
苦笑まじりに、俺は伝えた。
ほんの一言でいい。あの日、聞きたかった言葉を。
「すごいな、おまえら」
クリームを巻き散らして、大きな歓声が上がった。
August 18th is 了
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