January 29th is
January 29th is
【1月20日 23時30分】
「――というわけなんだ」
語り終えて、俺はカウンターを見渡した。
石野は表情を変えずにニンジンを齧り続け、男は興味薄そうにグラスの中の氷を数えている。
槙原は目を細めて、携帯画面を覗いていた。
「おい、何かコメントしろよ」
「券は全部使ったの」
「使った」
「――あ、来た」
携帯ごしに、槙原が俺を覗く。
おもむろに、彼は俺を罵倒した。
「死ね」
「…………」
「――辻村君から」
槙原は再び、携帯に視線をやった。
どうやら、子供たちに全部報告したらしい。
動揺を隠しきれずに、俺は携帯を覗きこんだ。
「あいつらなんて……」
「覗かないで」
ぐいっと俺の顔を押しのけて、槙原は文面を読み上げる。
「誕生日おめでとう。見事に踊らされました。――白峰君から」
「うまいことを言う……」
「いつか嘘はバレるんだよ。――久保谷君から」
「重みのある台詞だな……」
「騙されました。――茅君から」
「後が怖い……」
「騙された(顔文字)賢太郎ヒドス(顔文字)とりま誕生日おめでとう(絵文字)お詫びに遊び来てよ。なんで全然来ないの(絵文字)飲み会(絵文字)楽しそう。呼べば行ったのに(顔文字)またね(絵文字)(絵文字)(ライン)咲(ライン)」
「毎度のことだが、チビはメールのテンションの差にビビるな……」
「打つの早いしね。あ、また和泉君から来た。――写メってだって」
写真を撮られるのかと、俺は身を引いてカメラ目線になった。
背中で石野が感心した声を上げる。
「なんだかんだ、写真撮られるの好きですよね」
「好きなわけじゃないさ。抵抗がないだけだ」
映りがいいからな、と続けようとした瞬間、店内の照明が落ちた。
停電かと客がざわめきだす。
周囲を見渡す俺に、槙原が耳打ちした。
得意げな声で。
「写真なら、ちゃんとしたやつを、撮って貰おうよ」
「……?」
店内の一部にだけ、照明が灯る。
ライトアップされたのは、厨房にいる店員たちだった。
陽気な笑顔を浮かべる彼らの、先頭の一人が皿を抱えている。
皿に乗せられているのは、ホールケーキだった。
ケーキに刺さった蝋燭の火花が、暗い店の中、夏の花火のように目立つ。
俺は嫌な予感がした。
槙原を残して、槙原の隣の男も、石野も、一様に青ざめる。
「まさか……」
「そんな……」
男四人が並ぶむさくるしいカウンターに向かって、笑顔の店員たちが歩き出した。
「津久居賢太郎さん、お誕生日おめでとうございまーす!」
大音量のバースデーソングが、店のスピーカーから流れ始める。
落ち着いた店内に、わっと拍手が溢れかえった。
一気に汗が噴き出して、俺は視線を彷徨わせた。
「な……」
俺の顔も歳も知らない他の客たちも、雰囲気に乗せられて、手拍子を叩きはじめる。
落ち着け、おまえら。俺は心中で唱えた。
赤の他人の誕生日なんて、どうだっていいだろう。
頼むから黙っていてくれ。
「――びっくりした?」
俺の袖を引いて、槙原は上機嫌に笑った。
「さっき、店員さんにこっそり頼んだら、サービスしてくれるって言ったんだ!」
「…………」
「すごいでしょう!」
ああ、こいつは、こういう所が清史郎にそっくりだ。
サプライズに関して、TPOが読めないところが。
「平均年齢30歳の野郎だけの席で……」
「これはきつい……」
ケーキを運ぶ行列を見つめながら、石野と男が赤面した。
ハッピーバースデーを歌いながら、店員たちは店内をめぐって来る。眩しい照明も、彼らの後を付いてきた。
ぱっと照明がカウンター席を照らした瞬間、さっと石野と男は俯いた。
それきり、懺悔中かのように、顔を上げようとしない。
(裏切り者……)
横目に彼らを睨む、俺の背後で行列は止まった。
真後ろから、合唱が聞こえる。喉を鳴らして歌っていやがる。
あまつさえ、店員の一人が、満面の笑みでポラロイドを向けてきた。
咄嗟に目を逸らした先では、槙原が携帯を構えている。
「津久居君! フーってして、フーって!」
俺は願った。
大声で絶叫して、店から飛び出したい。
バースデーソングが終わると同時に、一際拍手が大きくなった。
クライマックスだ。
無言の要求を感じる。
「津久居君、フーって!」
槙原をはじめ、ケーキを差し出す店員も、ポラロイドを構える店員も、店にいる客も、あれを待っている。
あれを迎えないと、BGMも、照明も、元に戻せないからだ。
全身に汗をかきながら、俺は目を閉じて言い聞かせた。
いいか、賢太郎。
公共の利益のためだ。
店のため、客のため、営業妨害を続けないためにやるんだ。
覚悟を決めて、俺はケーキに顔を近づけた。
たえかねたように、隣の席で石野が爆笑する。椅子から転げ落ちそうになる石野を初めて見た。
槙原の隣の男も、涙を流して背を震わせている。
槙原はイエーイと叫んでる。
俺は息を吸い込んだ。
唇を尖らせた瞬間、待ちかまえていたように、フラッシュが光る。
へろへろの息が、蝋燭の炎を吹き消した。
「お誕生日、おめでとうございまーす!」
【1月30日 2時】
あの後、ヤケ酒を煽り過ぎて、タクシーで帰った。
住み慣れたアパートに帰りつき、安っぽい音を響かせる階段を上っていく。
半ばで、俺は引き返した。凍てついた集合ポストの中を覗く。
昨日届いた絵はがきには、誕生日を祝うメッセージが書かれていた。今度は雪景色の湖の写真だ。
俺はほっとした。
焼肉屋以外にも、俺の誕生日を祝う人間がいる。
近いうちに、子供たちの顔を見に行こう。
騙したことを、謝るために。いい肉を買って。
今度は槙原を混ぜてやってもいい。
そうして訪れた学校で、俺はもう一つの物語を、聞くことになるだろう。
子供たちの本当の物語を。
(――あんたたちに、話したいことがあるんだ)
今はただ、ひたすら眠かった。
今はただ、一つ年をとった自分の体を、寝台に運ぶのが精一杯だった。
January 29th is 了
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