April 8th is
April 8th is
国道を抜けて10分後にアウトレットモールについた。
アウトレットモールは混み合っていた。スポーツカーと煽り合いをやってから、僕はずっと槙原先生にお説教されていた。
「あんな車の乗り方するなら、キーを取り上げるからね! 大事故になるところだったんだよ!」
「すいません」
「制限速度も越えてたし、交通法違反だからね! 仮免取り消されるよ!」
「すいません」
「だいたい、津久居君も……」
「槙原先生、お願いがあるんですけど」
先生の台詞を遮って、僕は頭を下げた。
「駐車に行き詰ってしまったので、助けて貰っていいですか」
駐車場の空いたスペースに入れようとして、僕の車は身動きが取れなくなった。右前輪の方が右側の車と、左後輪の方が左側の車と接触寸前だ。どうすればここから抜け出せるのかもわからない。
槙原先生は気まずそうに言った。
「行き詰ってるのかなとは思ってたけど……」
槙原先生は津久居さんを起こした。津久居さんは槙原先生の説教に寝た振りをするうちに本当に寝ていた。
「津久居君、津久居君、起きてよ。駐車やってよ」
「駐車……?」
どうも大人しいなと思ったら、白峰も寝ていた。体の半分が久保谷に凭れかかっている。あれは起きない、と経験上僕は直感した。
津久居さんは車外に出て、すぐに煙草を咥えた。彼は僕に対して侮蔑の色を隠さなかった。
「どうやれば、こんなことになるんだ。参考までに言ってみろ」
「うまく行かずに、何度も切り返しているうちに」
「もっと早く言えよ。おまえはいつも最悪の事態になるまで頼らない」
僕は僅かにドアを開けて、狭い隙間から運転席を降りた。隣の車を擦らないように、ドアと隣の車の隙間に津久居さんが手を挟む。
津久居さんの煙草の匂いがした。久しぶりだった。懐かしい気分に浸っていると、彼は苛立って僕を睨んだ。
「どけ」
僕は落ち込んだ。
槙原先生はいくら怒っても、苛々した感情は伝わって来ない。津久居さんはすぐに伝わる。目の前から消えろと言われてる気分になって悲しくなる。
だから、先生の傍に行った。先生も車から降りて、周りをくるくる回っていた。先生は困ってはいたが、怒ってはいなかった。
「どう? 出来そう?」
「傷がついてもいいならな。瞠、後ろ見てろ」
「降りて立ってようか?」
久保谷は膝の上から白峰をどかして、車から降りた。左の車に接触しないように、警備員のように立つ。
僕と槙原先生と久保谷に三点から見守られながら、眠っている白峰を乗せた車を津久居さんは操作した。三角形の魔方陣で行われる儀式のようだった。ぎこぎこと動く車の中で、白峰は何かの生贄のようだ。
津久居さんはずっと一人ごとを言っていた。僕への罵倒だと思うと悲しいので、一人ごとだと思うことにした。クソがとか、馬鹿がとか、その類の言葉だ。
10分後、車は見事に駐車スペースに収まった。僕の腕を掴んで、槙原先生が笑った。
「やった。良かったね、茅君」
僕は微笑んだ。彼はいい人だ。彼みたいな人が好きだ。
「ハルたん、着いたよー。ハルたん」
後部座席に戻って、久保谷が白峰を揺らした。白峰は後部座席に寝そべって熟睡していた。僕の車の後部座席で眠っている白峰は悪くなかったので、起こさなくてもいいような気がした。
「起きろ、春人。おい」
「ちょっと、ぶつなよ! ひでえな、あんた」
「ぶってないだろ」
「もういい、ハルたんに触んないで。ハルたん、朝だよー」
「息を塞げば起きる」
津久居さんは片手で白峰の鼻と口を覆った。久保谷が血相を変えて、津久居さんの腕を外そうとする。
知らん顔をしていた津久居さんだったが、次第に青ざめていった。
息を塞いでも白峰が目覚めないからだ。
「……こいつ、いつか死ぬぞ!?」
「水を掛けると高確率で起きますよ」
ペットボトルの水を掛けようとする津久居さんを、久保谷が靴を脱いでひっぱたいた。槙原先生が鞄を漁って、目薬を差しだす。
「目薬したら起きるんじゃない?」
久保谷と位置を交代して、槙原先生が白峰の瞼をめくった。瞼を裏返されても、白峰はすこやかな寝息を立てていた。かわいいなと僕は思った。
目薬を落とすと、白峰の手足が跳ねた。何度も目薬を落とされて、目元がびしょびしょになった頃、白峰は目を覚ました。
「……何? 何これ……」
「目薬。白峰君、モールに着いたよ」
白峰の顔を袖で拭って、槙原先生はそう言った。重たそうな瞼で、わかった風に何度も相槌しながら、白峰は言った。
「カレー味じゃないならいいよ」
アウトレットモールは面白いところだった。百貨店に似ているけれど、店に入ると、それぞれ流れる音楽が違う。
待ち合わせ時間を決めると、津久居さんはすぐにいなくなった。僕らは4人で周っていたが、何軒目かの店に入った時、白峰が先生に言った。
「槙原先生。俺、コーディネートしてあげるよ」
「服選んでくれるってこと? ナウでヤングな感じに?」
「まあ、ナウでヤングな感じに。一緒に来て。あっちの店の方が先生に似合うと思うな」
槙原先生の手を引っ張って、白峰はどこかに消えていった。
残った久保谷の買い物を、僕は見守っていた。久保谷の動きは緊張感を帯びて、やがて耐えかねたように、僕を振り返った。
「茅サン、なんか欲しいものある?」
「ないよ」
僕らは店から出て、広々とした通路を歩いた。パンフレットを広げながら、久保谷が僕を見上げて笑う。
「誕生日だから、何かプレゼントするよ」
「この前貰ったよ」
僕の誕生日は久保谷の誕生日と一緒に祝って貰った。その時にプレゼントは交換していた。
「そ、そうだよね。こういうのは一回がいいよね。プレゼントって言ったって、たいしたモン買えねえし……」
「そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、何かある? 春物のTシャツとか……」
「春物は売るほど持ってる」
「そ、そっか……」
久保谷が恐縮している様子なので、僕は真剣に考えた。彼のために欲しいものを思いつきたい。
15分ほど沈黙の行進をした後で、僕は最適な物を思いついた。
「カードが欲しいな」
「カード? ゲームとかの?」
「誕生日のメッセージカード」
「…………」
久保谷が泣きだしそうになったので、僕は狼狽した。
「高額な物だったかな。カードは僕が買うから、メッセージを書いて貰えるだけでもいいんだけど……」
「…………」
「あの……。ごめん……」
久保谷は大きく首を振って「待ってて」と両手を大きく突きだした。喋ると同時に涙が溢れて、僕は心の底からうろたえた。
カードを選んでメッセージを書くので単独行動をしたい。内容は秘密の方が楽しめると思うので。――というような意のことを嗚咽混じりに伝えて、久保谷はどこかに去っていった。
彼を見送った僕は、ベンチに座って微笑んだ。
僕の目の前を家族や、恋人たちや、子供たちが通り過ぎて行く。止まらないパレードを眺めているみたいだった。立ち並ぶ店よりも面白い。
欲しいものはあまりなかった。無欲なわけじゃない。今日車に詰め込んで連れてきたからだ。
パレードの住人たちも、僕のように幸福そうだ。笑い声。ベビーカーの車輪の音。疲れた声。誰かを呼ぶ声。彼らは流れていく。彼らとはここでお別れだ。
誰かが僕の前で足を止めれば、新しい出会いになるだろう。
――不意に、目の前で誰かが足を止めた。
「…………」
僕は顔を上げた。立っていたのは、見知らぬ青年だった。知性的で品のいい雰囲気だ。
瞬きをする僕に、彼は微笑んだ。ふわりとした微笑を想像したが、彼は腹を抱えて、飛び跳ねた。
この時点でわかった。槙原先生だ。
「見て見て、白峰君! 茅君、気付かなかったよ!」
「顔を崩さなければ、もっと気付かれなかったのに……」
嘆きながら、白峰が現れた。作品のように槙原先生を紹介して、白峰は得意げに言う。
「どう? 似合うでしょ?」
僕は頷いた。白峰が服を選んだせいか、先生は白峰のような雰囲気がした。
「白峰君、乗せるの上手いから、一杯買っちゃったよねー」
頭を掻く仕草は先生だった。
「大丈夫だよ、着回しできるように選んだから。後はコンタクトとかにしちゃいなよ」
「モテちゃうかな?」
「茅サン、お待たせ……、うわ、マッキー!」
白峰みたいな雰囲気が一瞬だけする槙原先生に、久保谷も驚いていた。赤面しながら口元を覆う。
「かわいい、格好良い、かわいい……」
「みんなして上手いなー。先生、アイスとか奢っちゃうぞ」
僕らは喜んで、ジェラートショップに向かった。
歩きながらこっそり、久保谷がプレゼントをくれた。封筒に入ったメッセージカードと、葉っぱの形をした車の芳香剤だった。
「恥ずかしいから、寮に帰ってから見てな」
僕は頷いた。久保谷は照れ臭そうに走りだし、白峰の肩に飛びついた。
芳香剤は青い色で、夏のような匂いがした。メッセージカードを貰えて、僕はとても嬉しかった。
ジェラートショップについて、何の味にするか選んだ。二つまで選べるらしい。
「ハルたんは、カレー味じゃないならいいんでしょ」
「止めてよ」
久保谷がひやかして、白峰が赤面した。
白峰はコーヒーとバニラにした。久保谷はチョコとフランボワーズにした。
僕のは二人が決めてくれた。桜と抹茶だ。二人に少しずつ上げた。二人が喜んでくれたので嬉しかった。
先生はジェラートを食べなかった。辻村と和泉のお土産に、ロールケーキを買っていた。彼らを思い出して、僕は少し申し訳なくなった。
「辻村と和泉は連れて来れなくて悪かったな」
「大丈夫だよ。辻村は絶叫もの苦手だし」
「さっちゃんはご愁傷さまって言ってたし」
僕の車に乗車することが、遊園地のアトラクションや、葬儀に何の関係があるのかわからなかったけれど、二人が心配ないというので安心した。
待ち合わせの時間になって、津久居さんが戻ってきた。津久居さんも先生を見て目を丸くした。
「……おまえ、素材は良かったんだな!」
「ふふん。まあね!」
「だめだ。喋ったら終わった」
「終わってないよ! 僕のモテ期はこれからだよ! ねえ、白峰君!?」
白峰は上品に笑って答えなかった。津久居さんを見上げて尋ねる。
「何してたの?」
「ラーメン食ってた。あと本屋」
本屋と聞いて、辻村の本を見に行こうかと誰かが言った。面白そうだったけれど、面倒臭いから止めた。
日が暮れる前に、寮に戻ることにした。駐車場に向かう途中、白峰が僕を見上げて笑った。
「今日は良かったね、茅」
その言い方はとても良かった。
彼の声には僕を熟知している響きがあった。僕の心の手を引いて、目的地に案内するような。僕を理解する人がいて、僕の喜びを祝福してくれる。幸福と誇らしさを感じた。
白峰は僕の耳当たりを撫でた。甘やかすような微笑みに、僕はジェラートを差し出した。
「早く食え。片手運転なんて百年早いぞ」
帰りは助手席に津久居さんが乗った。言う通りに運転しろ、と津久居さんは凄んだ。
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